ショックが冷めやらない最中にまた同様の事件
名古屋市と横浜市の小学校教員が、女子児童を盗撮した画像などを交流サイト(SNS)のグループチャットで共有したとして逮捕された。この事件を受けて阿部俊子文科相は7月1日の記者会見で、チャットに参加したほかの教員に「一刻も早く名乗り出てほしい」と述べた。
その文科相の呼びかけがあった翌日の7月2日、またもや教員による児童の盗撮事件が明るみにでた。埼玉県警が同県所沢市立小学校の教員(48)を建造物侵入の疑いで逮捕したのだが、盗撮の疑いがもたれている。
この小学校の教室で、7月1日の午後4時ごろに穴の空いた筆箱に入ったスマートフォンが教室内に置かれているのを、この教室の担任が発見し、スマートフォンの中身を確認したところ児童を盗撮した映像があったため、校長が警察に通報したという。この教室では、プールの授業に備えて女子児童が着替えをしていた。
逮捕された教員は「自分の授業の様子を撮ろうとした」と学校側には説明したそうだが、その教室での授業をこの教員は担当していない。また警察では、「スマートフォンを教室に置き忘れただけ」と容疑を否認しているという。いずれも苦しい言い訳にしか思えない。
それにしても、盗撮画像をチャットで共有した教員が逮捕された事件のショックが冷めやらない最中での事件である。「開いた口が塞がらない」とは、こういうときのためにある表現に違いない。
名古屋市は全市立学校の教員を対象に調査
こうした教員による性暴力から子どもたちを守るための対策を早急に講じ、速やかに実施すべきであることは言うまでもない。いったい、どういう対策を取るべきなのだろうか。
名古屋市と横浜市の盗撮事件を受けて文科省は、7月1日付で私用のスマートフォンで児童生徒を撮影したり、学校の端末でも撮影画像を許可なく校外に持ち出さないなどの服務規律の徹底を求める通知を、都道府県教育委員会などに出している。その直後に所沢市の事件が起きているのだから、その効果のほどは危ぶまれる。
盗撮事件で通知を出した文科省は、2022年3月18日付で「教育職員等による児童生徒性暴力等の防止等に関する基本的な指針」(2023年7月に改訂、以下「指針」)を文科相決定として示している。
そこには、教員に対して「児童生徒性暴力等の防止等に関する理解を深めるための研修及び啓発の充実を図る」ことや、早期発見のために「児童生徒等や教育職員等に対する定期的なアンケート調査」といった策が盛り込まれている。
しかし「指針」が出された直後の2022年度は、児童生徒性暴力等で懲戒処分を受けた教員は、前年の94人から25人増えて119人となっている。さらに、2023年度は157人である。「指針」が示されても、教員の性暴力は増えていることになる。

「指針」の効果はなかった、とも言える。もちろん、「指針」があったために問題のある教員を発見して処分できた、という見方もできる。
ただ、摘発はできても未然に防ぐことはできなかったのだ。そのために、被害を受けた子どもがいたことはたしかである。事件を摘発することも大事だが、まずは未然に防ぐ策を講じることを優先しなければいけないのではないだろうか。
盗撮事件を受けて名古屋市は、外部の有識者による第三者委員会を7月中に設置し、全市立学校の教員約1万2000人を対象に、同様の事案がないかを調査する方針を表明している。広沢一郎市長は、「(盗撮をした教員が)まだいるんじゃないかと市民、国民が疑念を持っている」と調査の必要性を訴えている。
ほかに盗撮教員がいないことを明らかにすることで市民や国民に安心してもらう、ということのようだ。しかし、全教員を容疑者扱いするかのような調査を、教員は快く受け取められるだろうか。それによって教員が暗いムードをまとえば、学校全体が暗くなってしまう。子どもにも、決してよい影響は与えない。
学校を監視社会にしてしまえば「暗い学校」に一直線
今年6月30日の有識者会議でこども家庭庁は、面談室など児童と1対1になる場所には性暴力防止へ防犯カメラの設置が有効との認識を示している。これについて7月1日の記者会見で問われた阿部文科相は、1対1または少人数となる場面など、「複数の人の目が届きにくい限定的な場面でのカメラの活用は考えられる」と述べている。
これも「常に監視される状態」を学校内につくることで、教員全員を信用しないことを前提にしている。名古屋市の全教員調査と同じで「暗い学校」につながる可能性が高く、教員や子どもへの影響を考えれば、軽率な導入は避けたほうがいい。
前記の発言の前に、同じ会見で阿部文科相は「子どもたちの日常の活動がすべて録画されているという状況の是非などを踏まえますと、一般の教室への設置を広く推奨することはさまざまな議論があるものと私どもも思っております」と慎重な姿勢をみせてもいる。防犯カメラを教室に設置して学校を監視社会にしてしまうことに批判的な意見が多いことを文科省としても理解しており、簡単には踏み切れないと考えているのだ。
学校を監視社会にしてしまえば、それこそ「暗い学校」に一直線に向かうことになる。学校の望ましい姿なのか、慎重に考える必要がある。すぐにも目に見える効果を求める気持ちもわからないではないが、拙速な対処を優先してしまえば、子どもの成長を支える役割を担う学校そのものを崩壊させかねない。
「教員の目」と教員間のコミュニケーションが抑止に
置くべきはカメラではなく、「教員の目」である。例えば、現在の複数担任制を、かたちだけでなく、実質的にクラス運営を複数の教員で行うようにすれば、性暴力にいたる行為を防げるはずだ。教員の目が増えれば、子どもに対しても細かな目配りができるようになる。学校としての本来の機能を発揮できることになる。

フリージャーナリスト
1954年、鹿児島県生まれ。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。著書に『学校が合わない子どもたち』(青春新書)、『学校が学習塾にのみこまれる日』(朝日新聞社)、『ほんとうの教育をとりもどす 生きる力をはぐくむ授業への挑戦』(共栄書房)、『ブラック化する学校 少子化なのに、なぜ先生は忙しくなったのか?』(青春出版社)、『教師をやめる 14人の語りから見える学校のリアル』(学事出版)など
(写真:前屋氏提供)
「教員の数を増やすのは簡単ではない」という反論も、当然ながらあるはずだ。しかし、性暴力が問題になっている現状は、拙速な対処策ではなく、根本的な対応策を考え、講じるチャンスではないだろうか。
もう1つには、教員間のコミュニケーションを密にする環境づくりが必要である。忙しすぎる学校現場では、先輩教員が相談に乗ったりする機会さえ失われている状況になっている。問題行動のある教員が放っておかれる環境だといっていい。コミュニケーションが密になれば、問題行動を抑止し、性暴力につながる行動を止めることにもつながるはずである。
問題行動があれば問題にし、改める姿勢を確立することだ。世間と接触する機会の少ない学校は閉塞的な社会になってしまい、管理職もそのためか学校内の不祥事を表面化させたくない体質が強くなってしまった。性暴力を疑われる教員がいても、教育委員会と内密に相談して研修施設などに一時出向させ、ほとぼりが冷めたころに他校に異動させるということもあったようだ。
そうした姿勢を改め、性暴力をはじめとする教員の問題行動と正面から向き合い、学校外に対しても隠さずに取り組んでいくことが必要である。
所沢市の盗撮疑惑では、すぐに警察に通報するなど学校側の積極姿勢も見えている。問題になっている最中で迅速に対応せざるをえなかった事情もあるかもしれないが、隠す体質からの転換の兆しだと期待したい。
性暴力という犯罪の防止は、簡単なことではない。かといって拙速な策ばかりでは根本的な問題解消にはつながらず、学校崩壊にもつながりかねない。学校らしさを失わず、むしろ強めるかたちで、根本的な防止策に取り組んでいくことが必要なときではないだろうか。
(注記のない写真:mits / PIXTA)

