たとえば、「勉強しなさい」と命令する代わりに、
「今日は何を進める予定?」
「どこがいちばん難しそう?」
「何か手伝えることはある?」
と聞いてみる。
まだ自分で計画を立てられないなら、「国語と算数、どちらから始める?」「夕食の前と後なら、どちらがやりやすい?」と、小さな選択肢を渡してもいいでしょう。
勉強するかどうかをすべて子ども任せにする必要はありません。親が枠組みを整え、その中で順番や方法を子ども自身に選ばせるのです。
こうした小さな選択の積み重ねが、「自分で決めた」「自分の勉強だ」という感覚を育てていきます。
東大生の家庭で「自主性・自由を尊重していた」という回答が最も多かったのは、親が教育に無関心だったからではないと思います。
親が握るべきなのは、ハンドルではない
むしろ、勉強は最後には子ども自身がするものだとわかっていたからこそ、必要以上にハンドルを奪わなかったのではないでしょうか。
親が「勉強しなさい」と言えば、その日の勉強時間は増えるかもしれません。しかし、親がアクセルを踏み続けなければ動けない状態になれば、親がいなくなった瞬間に勉強も止まってしまいます。
本当に育てたいのは、親に言われなくても、自分で必要なことを考え、自分でアクセルを踏める力です。
「勉強しなさい」と言いたくなったときは、少しだけ立ち止まってみてください。
いま必要なのは、親が代わりにハンドルを握ることなのか。それとも、子どもが自分で運転できるように手助けすることなのか。
その問いを持つだけでも、子どもへの声のかけ方は変わってくるのではないかと思います。


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