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「砲弾が飛び交う極限の状況で育ち…」朝ドラ「風、薫る」で注目"鹿鳴館の華"と呼ばれた大山捨松の生涯

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ドレスを着た女性
鹿鳴館の華と呼ばれた大山捨松の生涯とは(写真:SEKIGUCCI / PIXTA)
  • 真山 知幸 伝記作家、偉人研究家、芸術修士(MFA)
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明治17(1884)年には、日本初のチャリティーバザー「鹿鳴館慈善会」を3日間にわたって主催。当時の金額で1万6000円という予想をはるかに超える収益を上げて、有志共立東京病院に全額寄付。この資金を土台に、2年後には日本初の看護婦養成学校が誕生することになる。

さらに愛国婦人会や日本赤十字篤志婦人会での活動を精力的にこなし、親友の津田梅子が立ち上げた女子英学塾(現・津田塾大学)の設立と運営も支え続けた。

スペイン風邪に感染し、58歳で没した

捨松は、自らアメリカで取得した看護の知識と、社会の上層部に築いた人脈の両方を、惜しみなく公共のために使い続けた人生だった、といえるだろう。大正8(1919)年、スペイン風邪に感染し、58歳で没した。

会津の砲弾の下から始まり、異国での長い学びを経て、明治の日本に看護・女子教育・社会福祉の礎を刻む。「自分には何ができるのだろうか」と常に問いながら、自分の道を突き進んだ捨松だった。

【参考文献】
久野明子著『鹿鳴館の貴婦人大山捨松 日本初の女子留学生』(中公文庫)
飛鳥井雅道著『鹿鳴館 岩波ブックレット シリーズ日本近代史』(岩波書店)
田中ひかる著『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中公文庫)
田中 ひかる監修『大関和 明治のナイチンゲールたち』(平凡社)
青山誠著『大関和 看護に人生を捧げた日本のナイチンゲール』(角川文庫)
櫻庭由紀子著『戦う白衣の天使 大関和・鈴木雅ものがたり』(内外出版社)

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