戦後、森下周辺で真っ先に復興したのは高橋商店街であった。1960年頃になると歩行者天国を実施。上野や銀座に次いで比較的早い時期から行っており、東京の歩行者天国のはしりといわれている。現在でも日曜日・祝日は歩行者天国となり、露店が出されている。
戦後から1965年頃、森下あたりには家内工業的な縫製工場が多かった。しかし採用難による廃業や、より広い土地を確保できる地方への移転により町工場はほとんど消えていった。
都営新宿線と大江戸線の開通
1978年12月、都営地下鉄新宿線の岩本町〜東大島間が開通した。江東区には、森下・住吉・西大島・大島・東大島の駅が設けられた。都営新宿線の森下駅開業を機に、清澄通りに面する商店が栄えた。
2000年12月には大江戸線全線開通し、森下・清澄白河・門前仲町の3駅が開業。大江戸線開通をきっかけに、森下の商店街では街路灯やまといのモニュメントが整備された。
電車の開通により森下にはマンションが増えたが、タワマンや高層ビル、大型商業施設は建てられることなく今に至る。
再開発されない町、森下
再開発されない街、森下は江戸時代に開拓され、下屋敷が建てられた。その後は工場や商店街のある街として発展してきた。礎となったのは、小名木川の存在である。
震災や戦災で甚大な被害を受けながらも商店街は復興し、現在は下町情緒を残した住宅街となっている。
続く後編では、森下がなぜ再開発されないのか、街づくりの経緯から考察していく。
