そのまた隣の門前仲町でも2018年に市街地再開発準備組合が設立され、駅前の再開発に向けて動いている。
周囲の街で再開発が行われるなか、なぜ森下は再開発されないのだろうか。
鍵を握る工場の立地
森下が再開発されない理由は、土地利用の歴史を辿ると見えてくる。
江東区の街の基盤は、関東大震災後の震災復興事業や第二次世界大戦後の戦災復興事業により整備された。現在、道路が整っているのはそのためだ。
この震災復興土地区画整理事業により工場の移転が進められ、重化学工業の工場は城東地区・臨海地区、軽工業の工場は深川地区と棲み分けられた。
昭和40年代に入ると公害問題などのため重化学工業の工場は移転され、その跡地が住宅などに再開発された。『江東区のあゆみ』には「おもな企業跡地の集合住宅化」が32件掲載されており、うち城東地区(亀戸・大島・北砂・南砂・東砂)が14件、臨海地区(豊洲・有明・塩浜・東雲)が15件と、大半を城東地区・臨海地区が占めている。
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【森下には大規模な工場はなかった】
