立正大学

最高の尊敬に値する
哲学を持った偉大な政治家

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第55代内閣総理大臣として戦後政治史に大きな足跡を残した石橋湛山は、1952年から16年間にわたり立正大学学長を務めた。その立正大学は〈「モラリスト×エキスパート」を育む。〉を教育目標に掲げ、多くの政治家をして「かくありたい」と言わしめた湛山の生き様、哲学を現代社会に問いかけようとしている。立正大学リレー対談・第2回「政治家・石橋湛山」は、元衆議院副議長の渡部恒三氏を招き、石橋省三・石橋湛山記念財団代表理事の司会で、山﨑和海学長と対談していただいた。
左から立正大学学長・山﨑和海氏、渡部恒三氏、石橋省三氏

街頭演説でケインズを語った唯一の政治家

――渡部さんは石橋湛山の選挙を手伝っていたことがあるそうですね。

渡部●私は、1951年に会津から政治家を志して早稲田大学に進み、雄弁会に所属していました。その先輩方との縁から、私設秘書のような形で石橋先生のお手伝いをしました。まだ、木造二階建てだったころの議員会館に通い、石橋先生が選挙区に帰る時には、かばん持ちとしてお供をさせていただきました。

――渡部さんが手伝った1955年2月の総選挙で湛山は、静岡二区(当時)でトップ当選しています。

渡部●石橋先生の街頭演説はとても長かった。ケインズに始まって修正資本主義の話を30分から1時間もかけてやるんだ。しかも、決して「よろしくお願いします」とは言わない。だから、私は地元の支持者の方から「長々とした演説はいらない。頼みますと言えばいいんだ」とよく怒られたものです。でも、石橋先生は「人々の負託を受けて、国民のために政治を行うのであって、何の見識も示さずにお願いするわけにはいかない」と考えていた。私の半世紀にわたる政治人生の中でも、街頭でケインズを語るような哲学を持った政治家には、他に会ったことがありません。

山﨑●その石橋湛山先生は、戦後に経営危機に陥った立正大学を建て直すために学長に就任されました。今、立正大学では、日本のケインズとも呼ばれ、国内生産の拡大を目指した積極財政論を訴え続けた湛山先生の揺るがない強さを、受け継ぐような人間力のある学生を育てる教育を展開していきたいと思っています。

渡部●戦後復興の途上にあった当時の日本はまだ貧しく、経済政策は最重要課題でした。日銀総裁、大蔵大臣を歴任した一萬田尚登が推し進めた金融引き締め・デフレ政策か、石橋先生らの積極財政策か――われわれ、当時の学生の間でも議論になっていました。現在の日本経済も一人当たりGDPの世界ランキングの下落が止まらず、低迷が続いています。アベノミクスで株価が上がったなどと浮かれている場合ではありません。石橋先生の自宅書斎で見ましたが、書棚に並んでいたケインズほか、当時の著名な経済学者の原書をすべて読まれたと聞きました。今の政治家も、経済に対する哲学を持って、少子高齢化時代の日本経済という課題に対してもっと真剣に向き合うべきです。

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