――ご両親はどんな方だったのでしょうか。
父はイギリス出身で大学で英語を教え、母は公立高校の英語教師でした。二人とも教育に関わっていたので、子育てにも比較的明確な考えがあったと思います。
今回、父から改めて話を聞いて印象に残ったのが、「あたり前方式」という考え方です。
子どもが小さいうちは、「人生はこういうものだ」「私たち家族にとってはこれが当然だ」と親がスタンスを示し、あえて子どもに他の選択肢を与えない。その代わり、将来どんな選択もできるような土台を、親が全力で整える。
その過程で、どうにもならないことや壁にぶつかったときにも、誰かのせいにするのではなく、「そういうものだ」と受け止めて前に進む力を育てる、という考え方でした。
小学校に入る前に一人でイギリスに滞在させたことや、家では父とは英語、母とは日本語で話すことを100%徹底していたことも、すべてその「あたり前方式」の一環だったのだと思います。
自分が親になった今、そこまで徹底してやり切っていたのは本当にすごいことだと感じます。
日本の小学校で得た「周りの中で自分を生かす力」
――なぜご両親は、日本の小学校を選んだのでしょうか。
父が持つ教育関係のネットワークの中で、日本の公立小学校が制度として優れているという情報を得ていたのだと思います。実際に娘を通わせて確かめたい、という思いもあったのかもしれません。
父はPTAにも積極的に参加していました。当時は父親で参加している人はほとんどいませんでしたし、外国人だったのでかなり目立っていて、子どもながらに少し恥ずかしかったのを覚えています。
――日本の小学校の記憶は?
私が6年間通ったのは、大阪郊外にある公立小学校で、1000人を超える児童が在籍するマンモス校でした。特別なことは何もない、ごく普通の学校でしたが、振り返るとあの6年間は、私にとって「日本人であることの原点」だったと思います。
当時、その地域では私のような「ハーフ」は珍しく、低学年の頃は「英語を話してみろ」とからかわれることもあり、つらい思いもしました。
それでも次第に学校生活に慣れ、高学年になると背も伸びて自信もつき、前に出ることが楽しくなりました。立候補できる役には積極的に挑戦し、行事のリーダーも務めるようになりました。ところが5年生の時、担任の先生にこう言われたのです。
「山崎、たまには他の人に譲ってくれ。周りをもっと見てくれ」と。
私はハッとしました。自分がやりたいことをやることと、集団がうまく回ることは違う。その感覚は、今の仕事にもつながっています。
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【日本社会の縮図を映した場面】
