【追悼】ポピュリズムに背を向けた「リベラルの良心」大塚耕平氏、日銀出身の博士が魑魅魍魎の政界で問い続けた真理

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大塚氏は自らの公式サイトにこう記している。

「政治や経済を考えるうえで、仏教と歴史は大いに示唆に富んでおり、自分自身の判断や選択の際の道標となっています」

これは単なる趣味の表明ではない。マクロ経済学の研究で鍛えた論理と、仏教で涵養した実践知を統合しようとした、彼の知的営為の真摯な告白である。

仏教を研究すれば、日本史・戦国史へ必然的に分け入ることになる。中日新聞社からは『愛知四国霊場の旅』(20年)と『尾張名古屋歴史街道を行く —社寺城郭・幕末史—』(23年)を刊行し、愛知県内で広く読まれた。

24年には東愛知新聞社から『穂の国探究 語り継ぎたい東三河の歩み』も上梓している。政治・経済・仏教・歴史を横断する著作群は、「在野の研究者」としての大塚氏の全貌を示している。

「在野の精神」を体現した政治家

大塚氏は早稲田大学を愛していた。早大客員教授を長く務め、母校の研究機構とも連携した。早稲田が標榜する「在野の精神」、すなわち権力や既成秩序に依存せず、独自の視点から真実を探求する姿勢は、大塚氏の政治家像と深く重なる。

中央大学大学院公共政策研究科客員教授、早稲田大学総合研究機構客員教授として後進の教育にも携わりながら、日本財政学会・日本地方財政学会・公共選択学会・日本公共政策学会に所属し続けた。政治家でありながらアカデミアとの橋渡しをし続けた例は、日本の政界において極めてまれである。

日銀時代には従業員組合の副執行委員長を務めたという逸話も、大塚氏の人物像を語るうえで欠かせない。エリート中央銀行員でありながら、現場の声を吸い上げる役割も担った。上から目線ではなく、現場から積み上げる姿勢が、後の政治家としての哲学の原点でもあった。

バレーボール部のキャプテン、スキューバダイビングの指導員(PADIインストラクター)、仏教講師、博士、国会議員。趣味はスキーとジョギング。これほど多彩な才能を備えた文武両道の人物に、私はそう多く出会ったことがない。

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