【追悼】ポピュリズムに背を向けた「リベラルの良心」大塚耕平氏、日銀出身の博士が魑魅魍魎の政界で問い続けた真理

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

1959年10月5日、名古屋市に生まれた大塚氏は、愛知県立旭丘高等学校でバレーボール部のキャプテンを務めた後、1浪して早稲田大学政治経済学部経済学科に入学。83年に日銀へ入行した。旧営業局(その後、金融市場局・金融機構局・決済機構局に改組)に長く在籍し、金融機関への窓口指導や市場調節を担当した。

特筆すべきは、日銀に勤務しながら、2000年に早稲田大学大学院社会科学研究科博士後期課程を修了し、博士の学位を取得したこと。論文タイトルは「公共政策としてのマクロ経済政策 財政赤字の発生と制御のメカニズムに関する考察」だった。

この論文は後に成文堂から単行本として刊行されている。マクロ経済学を軸に、政策立案の視点から財政赤字の構造を解き明かした本格的な研究であり、現役の中央銀行職員がこの水準の研究業績を残したことは快挙であった。

経済オンチが多い政界で稀有な存在

01年7月の第19回参議院議員通常選挙で愛知県選挙区から民主党公認で出馬し初当選。以降、07年、13年、19年と4期連続当選を果たし、国会議員として23年間活動した。財政金融委員会では01年から07年までの間に100回以上発言し、その理論的な質問は「学者顔負け」と評された。

政権担当期には内閣府副大臣(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣)、厚生労働副大臣(菅直人第2次改造内閣)を歴任。東日本大震災後には、食品・水道水への放射性物質規制という難題を副大臣として主導した。

その経緯を後に著書『3.11大震災と厚労省 放射性物質の影響と暫定規制』(丸善出版、12年)に記録した。行政と政治の狭間で何を判断したかを公文書として残そうとした姿勢は、大塚氏の「正直な政治」への信条を体現していた。

大塚耕平と玉木雄一郎
新党設立大会後、記者会見する国民民主党の大塚耕平共同代表(左)と玉木雄一郎共同代表(写真:時事、肩書はいずれも当時)

民進党代表(17年)、旧国民民主党共同代表(18年)として党首の座も経験した。ところが、党運営の難局が続いた時期でもあり、合従連衡の波に翻弄され、その卓越した理論的能力が党再建という政治的課題と十分にかみ合ったとは言いがたかった。

次ページ大塚氏の政治信念と時代の皮肉
関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事