スターバックスはなぜソイミルクを無料化したか BCGが分析するインフレ時代のプライシング戦略

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ボストン コンサルティング グループ マネージング・ディレクター & パートナー 阿川 大 氏、ボストン コンサルティング グループ マネージング・ディレクター & パートナー 紀平 啓子 氏、スターバックス コーヒー ジャパン 戦略推進本部 戦略部 部長 福島 巨之 氏
日本でもインフレが加速し、さまざまな業界で値上げが相次いでいる。しかし、企業にとって、値上げは顧客離れにつながるリスクもある。原材料や人件費の高騰などでコストが増す中で、企業はプライシング戦略をどのように考えればよいのか。立地別での価格設定を打ち出したスターバックス コーヒー ジャパンの福島巨之氏と、『BCG プライシング戦略』の監訳者であり、国内外の企業とプライシング関連プロジェクトを手掛けているボストン コンサルティング グループ(以下、BCG)の阿川大氏、紀平啓子氏に、価格戦略について議論してもらった。
ボストン コンサルティング グループ マネージング・ディレクター & パートナー 阿川 大 氏
ボストン コンサルティング グループ
マネージング・ディレクター & パートナー
阿川 大

阿川 日本経済は長いデフレ期を経て、インフレ時代に入りました。昨年の日本のインフレ率は主要先進国の中でも高水準で推移しました。このデフレからインフレへの急転換に消費者は驚き、企業もプライシングとそれに関連する戦略の見直しを迫られています。

福島 スターバックスもこれまで価格改定を重ねてきましたが、それは何年かに一度のことでした。ここ数年は、価格について定常的に考えなくてはいけない状況です。

阿川 BCGが提唱する、プライシング戦略を統合的に整理した理論「プライシング・ヘキサゴン」の中では、価格を考えるときに最初に意識すべき情報源として、「価値」「コスト」「競合」の3つの視点を重視します。

スターバックス コーヒー ジャパン 戦略推進本部 戦略部 部長 福島 巨之 氏
スターバックス コーヒー ジャパン
戦略推進本部 戦略部 部長
福島 巨之

最近は、このうち「コスト」を意識したコスト転嫁型の値上げが増えていますが、スターバックスさんは、プライシング戦略を考える上でのインプットとして、顧客にとっての「価値」を最も重視している印象です。

福島 私たちが大事にしているのは、お客様がお店に入ったときより出ていくときのほうが前向きな気持ちになっているという体験を含めたトータルの価値であり、価格はその価値を表現するものだと考えています。

スターバックスのソイラテ
ソイラテ

例えば、かつてティーはコーヒーより一段安くご提供していました。

しかし、ティー好きのお客様にもコーヒーと同様の価値をスターバックスとして提供できていると考え、適正な価格に改定しました。

上げるばかりではありません。以前はソイミルク(豆乳)への変更を税抜き50円で提供していました。

ソイミルクは、その味わいや栄養面だけでなく環境負荷が小さいこともあり、スターバックスではおすすめしていますが、有料だとお客様におすすめしたときにいわゆるアップセルと誤解され、メッセージが伝わりにくい場合がありました。

そこで無料化することで、お客様に提案しやすくなりました。プライシングは、私たちが提供する価値をお客様に伝える手段なのです。

企業に必要なのはプライシングの「筋肉」

ボストン コンサルティング グループ マネージング・ディレクター & パートナー 紀平 啓子 氏
ボストン コンサルティング グループ
マネージング・ディレクター & パートナー
紀平 啓子

紀平 価格設定を単純な数値の決めごとであるかのように、トップの鶴の一声で決めてしまう企業もありますが、提供価値の情報を起点に体系的にプライシング戦略を検討することは、企業にとってきわめて重要な戦略的判断です。プライシングに関するプロジェクトを多数手掛けてきたBCGでは、支払意向額(WTP:Willingness to Pay)や価格弾力性を分析し、これに基づいた科学的なアプローチでプライシングを検討することを重視しています。例えば、ユーザーの消費行動データを取って大規模に分析したり、ほかのプロダクトや競合の価格との整合性が取れているかどうかを確認したりする仕組みも重要でしょう。適切な価格改定を行うための検討事項は多岐にわたるため、価格改定にはさまざまな部門が関わることが多いですが、スターバックスさんではどのような仕組みやプロセスで価値を定量化し、価格改定を実施していますか。

福島 効率とロマンスを両立させることが事業運営における私たちの基本的な考え方です。定性的な要素について深掘りすると同時に、データ分析などサイエンスの裏付けをもって価格を改定していくアプローチを重視しています。

具体的には、私がリードするプライシング委員会が、社会やお客様の変化などの分析に基づき、複数年度にわたるプライシングのテーマを策定します。実行の承認を得たのちは、本当に多くの部門が関わります。まさにその価格を改定する商品関係部門のみならず、立地別価格なので店舗開発部門との会話も必要です。IT部門と話を詰めるのは言うに及ばず、オフィシャルサイトなど、チャネルごとにどう表示するかについてデジタルや法務関連の部門ともやり取りします。

紀平 グローバル企業ではプライシングの専門部隊を設けているケースも少なくありません。また、BCGのこれまでの経験から、プライシング戦略の方向性によって、親和性の高い部門は異なると考えているので、戦略に合わせて主導する部門を定め、対応する選択肢もあります。いずれにしても、組織としてプライシングの「筋肉」を鍛えてケイパビリティー(組織能力)として蓄えることが重要です。プライシングが単発で発生するイベントではなく、企業が継続的に取り組むべき課題になった今、その必要性はますます高まっています。

福島 専門部隊をつくると、新たなサイロができる怖さもあります。私としては、プライシングの大方針は戦略として経営が打ち出すものの、価格に見合う体験価値の実現のため、各部門が一体となって全社で仕上げていく姿を目指しています。

スターバックスが「一物多価」を導入した理由

阿川 近年、日本でも店舗別・地域別・時間帯別・テイクアウト/イートインの用途別などで同じ商品を複数の価格で販売する「一物多価」を導入する企業が増えてきました。背景にあるのは、公平さについての考え方の変化です。かつてはいつでも、どこでも同じ価格で買えることが公平だと考えられてきましたが、価値を享受する人に応分の負担を求めることが公平だと捉えられるようになってきました。私たちが定期的に実施している消費者調査でも、価格差をつける理由にもよりますが、消費者の9割近くが一物多価を受け入れているという結果も出ています。

福島 スターバックスは2025年2月に立地別価格を導入しました。全国一律の価格ではなく、まさに新しい時代の公平さを考え、そのときその場所の価値に合ったプライシングに踏み出したのです。

紀平 「プライシングは価値を伝える手段」という話もありましたが、説明の仕方や理由によっても、顧客の価格に対する納得感は大きく左右されます。一物多価も、説明や表現を一歩間違えるとむしろ不公平だと受け止められて顧客の過剰な反応を引き起こすこともあります。大切なのは、企業と顧客が価値を奪い合うのではなく、価値をともに分け合う関係性をつくること。そのためには、企業がより高い価値を提供するために努力する必要もありますが、これが実現できれば一物多価も受け入れられやすいと考えます。

福島 価値を提供する代わりにテーブルの上にはお金を残さないという思想では、お客様の足は遠のいてしまうでしょう。2年連続で全国サービスNo.1に輝いた長野県のある店舗では、雨の日に「今日は売り上げが悪いでしょう。だからコーヒー豆を買いに来たよ」と来てくださるお客様がいるそうです。スターバックスは日本に根を張って30年。このようにお客様と価値をシェアし続けながら、今後もサステナブルに成長したいと考えています。

阿川 プライシング戦略は企業を成長させるうえで避けて通れないもの。BCGが過去に実施した調査では、プライシング戦略を統合的に考え、適切に運用している企業は平均して利益率が高い傾向にありました。私たちは、「プライシング・ヘキサゴン」などの独自の統合的な理論も開発し、多数の企業をご支援してきました。これからも引き続きプライシング戦略を企業の競争力にする追求をしていきます。

プライシングは企業の業績に直結する重要な戦略レバーだ。しかし、検討すべき要素は多様かつ複雑であり、全体像を理解した上で戦略的な経営判断を行い、必要な組織能力を構築することは容易ではない。BCGは、戦略的なプライシングの枠組み・手法を統合的に整理する「プライシング・ヘキサゴン」という考え方を軸に、BtoB、BtoCを含むさまざまな企業のプライシングを支援してきた。20年以上にわたる経験に基づく理論と実践の両面から導かれたノウハウを収めた本書は、インフレや原材料費高騰などを背景に目まぐるしく変化する現代のビジネス環境のなかでプライシングに悩む企業にとって、ヒントに満ちている。まさに「プライシング戦略の教科書」といえる一冊だ。

BCGプライシング戦略
『BCGプライシング戦略 価格でビジネス・市場・社会を進化させる』
ジャン=マヌエル・イザレ著/アーナブ・シンハ著/阿川 大監修/紀平 啓子監修/渡部 典子訳
(東洋経済新報社)