佐賀県が描く「コスメティック産業」の未来地図 人とビジネスが集う「美の拠点」の全貌

しかし、この成功の本質は単なる企業誘致ではない。カギを握るのは、行政・企業・大学が有機的に結び付き、人材育成から研究、ビジネスの創出を生み出すエコシステムの構築だ。なぜ今、佐賀がアジアの美の供給地となり得るのか。構想を牽引する3名のキーパーソンと共に、その戦略の全貌に迫る。
佐賀県にコスメティック産業が集積中
佐賀県がコスメティック構想を掲げたのは2013年。当時、県内には関連事業者が点在していたものの、産業としての集積はまだ見えていなかった。人口減少、若者流出、産業の空洞化――。多くの地方と同じ課題を抱える中で、佐賀県は「単なる企業誘致ではない産業政策」を模索していた。山口祥義知事は次のように語る。
山口 祥義(やまぐち・よしのり)氏
「佐賀は、自然由来の原料の供給基地であり、アジアにも近い立地のため、様々なサプライチェーンの集積もしやすい。ただ、自然由来の原料、農業、加工、物流、研究といった要素が分断されたまま存在していました。それを1つの産業として束ねることができないか。そう考えたときに、コスメティック(化粧品)という分野は非常に相性が良いと考えたのです」
化粧品は、原料生産から研究開発、製造、検査、包装、物流まで、裾野が広い産業であり多様な担い手が関わる。ただし、そこで佐賀県が留意したのは、産業団地の整備など、いわゆるハード先行にしないことだった。
「工業団地を造って、とにかく入ってくれというモデルは長続きしません。美しいものを作るというプロジェクトには『美しい作り方』があります。構想でどのような将来像を描いているのか、ビジョンが重要です。だからこそ、志を持った企業が集まってくると思います」と山口知事は説明する。
県庁内にはコスメティック産業の支援に特化した「コスメティック産業推進室」が設置されている。ほかの都道府県にはない独自の組織として注目されており、産学官が並列で関わる仕組みをつくるサポートを行う。
もう1つ、山口知事が強調するのが、スピードを求めすぎなかった点だ。
「急いで形だけを整えるよりも、時間をかけてコスメティック産業の集積地として求められる仕組みや関係性をつくることのほうが大事だと考えていました。県が筋道を決めて参画企業を募るのではなく、民間や大学が動きやすい環境を整える。それが行政の役割だと思っています」
こうした考え方の下で進められてきたコスメティック構想は、10年という時間を経て、一定の成果を示すようになった。構想開始後、県内に立地したコスメティック関連事業者は17社となり、約1000人の雇用の創出にも貢献。化粧品生産額は、14年から24年にかけて約2.2倍に拡大している。山口知事は、数字の増減そのものよりも、その「中身」を重視する。
「重要なのは、単に生産額が増えたことではなく、その過程で何が生まれたかです。雇用、関連産業、農業との連携、人材育成。そうしたものが少しずつ、面として広がってきています」
実際、コスメティック構想は製造業だけにとどまらず、原料栽培や未利用資源の活用、研究開発拠点の整備へと裾野を広げている。ツバキ油やミカン花水、白いきくらげ、ハーブなど、佐賀県産素材を化粧品原料に採用したいと県内に立地した化粧品メーカーもある。
「すでにコスメティック産業に欠かせないサプライチェーンが整い始めています。集積地として、次の段階に進めるためにも、取り組みを継続していきます」(山口知事)
唐津を起点に広がる「コスメティック構想」
佐賀県唐津市。玄界灘に面した美しい松原に臨む立地に「唐津コスメパーク」がある。ここには化粧品の輸入代行や検査分析を行う企業、受託製造、原料商社、パッケージメーカー、物流会社など5つのコスメティック関連企業が集まっている。
13年には、企業・大学・行政などで構成される産学官連携組織「ジャパン・コスメティックセンター(JCC)」が設立された。その設立から現在に至るまで、構想を牽引してきたのが、現会長の山﨑信二氏だ。
ブルーム 代表取締役
山﨑 信二氏
「『唐津コスメパーク』が生まれたきっかけは12年に、フランスの世界最大級のコスメ産業集積地『コスメティックバレー』の前会長であるアルバン・ミュラー氏が唐津市を訪問したことです。
唐津をはじめ佐賀県は、化粧品の原料となる豊かな天然資源に恵まれ、成長するアジア市場にも近いことから、ミュラー氏は『佐賀は日本版のコスメティックバレーになれる』と提言しました。それが県を挙げてのコスメティック構想へつながっていったのです」と山﨑会長は紹介する。
以来10年余り。山﨑会長が一貫して懸念しているのは、グローバル市場における日本のコスメティック産業の競争力の低下だ。
「日本の化粧品をこのままにしていたら、いずれ海外のメーカーとの競争に勝てなくなる。そうならないためには海外市場を視野に入れたクラスター(集積)の構築が不可欠です」
山﨑会長の提言に賛同し、唐津市、玄海町などに進出する企業も増えている。JCCは国際的なコスメティック産業クラスターのネットワークであるグローバルコスメティッククラスター(GCC)の一員であり、海外の商談会、国際的な連携の支援なども行っている。
「佐賀県は、民間企業の努力に委ねるだけではなく、産学官連携の下で、企業の集積や地産素材の化粧品原料化などの成果を積み重ねてきました。グローバルに見ても『アジアのコスメティックバレー』になれる可能性を秘めていると自負しています」と山﨑会長は語る。
佐賀大学が「コスメティックサイエンス学環」を26年に開設
佐賀県のコスメティック構想を実現するために不可欠な要素である「人材」。その課題解決を目指し、佐賀大学では26年度より国内初の「コスメティックサイエンス学環」の開設を予定している。その構想に深く関わるのが、徳留嘉寛教授だ。
コスメティックサイエンス学環(26年4月開設予定)教授
徳留 嘉寛氏
「そもそも、化粧品には学問領域がなかったのです。産業はあるのに、学問がない。これはずっと不思議だと思っていました」
徳留教授が最も重視するのは、「体の仕組みを理解した科学者」の存在だ。有効性の裏には必ずリスクがある。だからこそ、化粧品を単なる商品としてではなく、社会に根づくものとして広げていくには、有効性だけでなくリスクも科学的に裏付けられたものが不可欠だというのが一貫した考えだ。
「私は『化粧品を』教えたいわけじゃない。『化粧品で』教えたいのです。化粧品はあくまで入り口で、サイエンスとして物事を考える力を身に付けてほしいと考えています」(徳留教授)
その思想を形にするために選ばれたのが「学環」という制度だ。学部横断で専門家が集い、学生を育てる仕組みである。
「佐賀大学には化粧品に関わるあらゆる領域の学部がそろっていて、それが1つのキャンパスに集まっている。これはほかの大学ではなかなかできないことです」(徳留教授)
化学は化学の専門家が、生物は生物の専門家が、皮膚科学や毒性は医学部の教員が担う。さらに、マーケティングやデザインまで含めて教育する。学環はまさに、大学のリソースを余さず使って学生を育てる仕組みと言えるだろう。構想を発表したところ、反響は想像以上だった。オープンキャンパスには全国から志望者が集まり、大幅に定員を超えた。しかし徳留教授が描く人材像は、コスメティックの研究者に限らない。
「研究職に進む必要はありません。デザインやマーケティングといった分野で専門性を発揮する道もある。ただ、体の仕組みが分かる人が、会社に1人いるだけで、意思決定は大きく変わります」(徳留教授)
学環から巣立つ学生は、企業内外の専門と専門をつなぐ存在としての活躍が期待される。有効性と安全性、科学と市場、技術と文化。その間に立ち、解を探る。
「県がコスメティック構想を推進していることで、さまざまな企業が身近にいます。この環境は、研究者にも学生にも、すごく大きい。面白いことがたくさんできる場所だと思っています」(徳留教授)
思惑どおり、産学官連携でさまざまなイノベーションが佐賀から生まれることも期待される。コスメティック構想に基づき、産業と大学が近い距離で連携する環境を生かした、佐賀発の人材育成モデルが動き出している。
産業の持続性と人材定着、その先にあるもの
企業誘致によって地元の雇用を増やすことは、自治体側の期待でもある。しかしコスメティック構想を通じて佐賀県が重視しているのは、雇用の数そのものではない。
山口知事は、「企業が県内に立地し、持続的に成長していくこと。その結果として、雇用や人材の流れが生まれることが重要です」と語る。
だからこそ、佐賀県がコスメティック構想で目指してきたのは、個々の立地企業が事業として成長し、その集合体として産業全体の競争力が高まる状態だ。そのために位置づけられているのが、クラスターという考え方である。
またコスメティック構想が持つ意味は、産業政策にとどまらない。県内に関連企業が存在し、仕事の選択肢が増えることは、人材の定着にも直結する。その点で、コスメティック構想は、特定の産業を育てる取り組みであると同時に、地域が人材の受け皿となるための条件を整える試みでもある。
「コスメティック分野のベンチャーやスタートアップも含め、『コスメビジネスをやるなら佐賀県で』という存在になりたいですね。福岡や東京、大阪に出ることだけが進路ではなく、佐賀で働く、あるいは佐賀に戻って働くという選択肢も現実的になります」と山口知事は期待を寄せる。
企業が持続的に成長し、人が定着する。その循環をどう描けるか。地方における新たな産業と人材のあり方を示す取り組みとして、コスメティック構想の今後の展開が注目される。





