中外製薬、AIで「本当に成果を出す」ための戦略 「わずか5年で」DX先進企業となった理由とは

「DXしないとディスラプト」という強い危機感
製薬を取り巻く環境は厳しさを増している。とりわけ超高齢社会である日本は、医療費の膨張が続いているため、その適正化のため薬価の引き下げが続いている。その一方、創薬には膨大なコストと時間がかかる。成功確率も約3万分の1程度とも言われるほどだ。こうした状況に対し、中外製薬のデジタルトランスフォーメーションユニット長、鈴木貴雄氏は次のように話す。
「より革新的な薬を、なるべく早く患者さんに届けるという私たちのミッションを達成するには、研究開発の時間とコストを削減し、成功確率を上げなければなりません。そのキードライバーとなるのがデジタルトランスフォーメーション(DX)だと考えています。競争が激化している市場環境を踏まえると、DXを強力に進めなければ淘汰(ディスラプト)されるリスクが高いという危機感をつねに抱いています」

中外製薬
参与 デジタルトランスフォーメーションユニット長
2021年、中外製薬は2030年までに研究開発の生産性を2倍にし、自社グローバル品を毎年上市という成長戦略を策定。全社DX戦略として「CHUGAI DIGITAL VISION 2030」を掲げた。中外製薬 デジタルトランスフォーメーションユニット デジタル戦略企画部部長の金谷和充氏は、次のように説明する。
「DX戦略では、フェーズを3つに分けています。まずは『人・文化を変える』、次に『ビジネスを変える』、そして『社会を変える』です。フェーズ1では、DXを全社員共通の課題として“自分ごと化”し、“全社ごと化”するため『とにかくやってみる』文化の醸成に取り組みました。現在はフェーズ2に移り、アウトプットにとどまらずビジネス成果である『アウトカム』につながる業務プロセスの変革に取り組んでいます」

中外製薬
デジタルトランスフォーメーションユニット デジタル戦略企画部 部長
ビジネス変革につなげるため「MVP」手法を活用
しかし、「人・文化を変える」のは決して容易ではない。金谷氏は「生成AIの活用として、まずはツールを使える環境を整えた」とその仕掛けを明かす。
「何よりもツールを楽しんでもらい、全社員にとって身近な存在となってもらうようにしました。生成AIを『人と組織の可能性を解放するパートナー』と位置づけ、主だったサービスを使えることや、ニーズに合わせて毎月のように新しいバージョンに入れ替え、機能追加が迅速にできるように内製で展開を試みました」
こうした環境整備を進めつつ、現場からアイデアを募集。デジタルトランスフォーメーションユニットから予算をつけてPoC(概念実証)を推奨する仕組みを立ち上げたことも、「人・文化を変える」ことに強くつながっている。
そればかりではない。「『PoC止まり』に陥らないよう手を打ち、フェーズ2へスムーズに移行させている点も注目すべき」と指摘するのは、中外製薬を支援するPwCコンサルティングの大森健氏だ。
「生成AIのPoCに取り組んでいる企業は増えていますが、成果を次につなげられずに苦労している傾向があります。それではせっかく培った知見が属人的になり、企業の資産になりにくくなってしまいます。その点、中外製薬はCoE(Center of Excellence)組織を立ち上げてPoCの知見を集約し、最低限の機能を持つプロダクトを開発するMVP(Minimum Viable Product)の手法を通じて生み出せるアウトカムを明確にしたうえで、ビジネス化の施策に落とし込もうとしています。その『プロセスを可視化し、限られたリソースを効率的に活用できているか議論して最適化するサイクル』を回し始めている状況は、業界においてもたいへん先進的です」

PwCコンサルティング
執行役員 パートナー
CoE組織を立ち上げたのは、プロジェクトを単発で終わらせず、「点から線へ」そして「線から束へ」広げていくためでもある。
「研究開発の時間とコストを大幅に削減し、かつ革新的な創薬を生み出すには、バリューチェーン全体を見渡したうえで、どこにどのような変革を行えば大きなインパクトを出せるのかを見極めなくてはなりません。そこでCoE組織では、全社で進行するデジタル関連プロジェクトをポートフォリオとして管理しようとしています」(金谷氏)
鈴木氏が後を受ける。「そうしたデジタルプロジェクト・ポートフォリオ・マネジメントのノウハウを蓄積するためにも、『内製化力』が必要だと考えています。『内製化』は社内ですべてのプロセス実行を担うことですが、限られたリソースではすべてを社員が担うことは困難です。しかし、外部に多くを頼ってしまえばノウハウを血肉とすることはできない。ノウハウに基づいて的確な戦略を構築し、俯瞰的に見つつ優先順位を踏まえて展開できる『内製化力』を磨かなくてはなりません。それには、外部パートナーの存在が必要だと判断しました」。
そこで、選ばれたのがPwCコンサルティングだ。
「PwCコンサルティングは、先進テクノロジーに通じ、業務オペレーションを効率化させて競争優位性を高める術を知っていることに加え、ドメイン知識×AI知見を組み合わせDXサイドとビジネスサイドとの対話を活性化させ、実装していくことに秀でています。
そうしたところが、『内製化力』を磨き、DX戦略を実現させていくケイパビリティ向上に役立つと感じています。現在、生み出すべきアウトカムを現場と共有し、適切なオペレーティングモデルをいかに設計するかを提案いただき、現場とすり合わせながら実装を進めています」(金谷氏)
アウトカムを出すには、「便利」「役立つ」にとどまらず、業務内容やプロセスに生成AIを組み込み、継続的に磨き込むことが重要だとPwCコンサルティングの森田崇裕氏は話す。
「アウトカムに着目する場合、生成AI単独ではなく、例えばあいまいな部分に対する判断やユーザーとの対話には生成AIを、明確な作業フローにはRPAを活用するなど使い分け、いわば“かゆいところに手が届く”独自のAIアプリケーションを構築することが重要になると考えています。また、生成AIを導入すれば自社に蓄積した大量なデータが有効活用できるという期待は大きいですが、現時点では性能の限界があったり回答精度のばらつきが意外と多かったりと、実装にはハードルが高い状況です。このような状況を踏まえると個別ユースケースの実装よりも、中外製薬のように大規模アジャイル導入など、ケイパビリティ強化やオペレーティングモデルの見直しといった『内製化力』に着目しアジリティを高める取り組みを展開し、AIの進化に応じた課題解決ソリューション企画を行い、ガバナンスやセキュリティーを強化しながら適切な生成AI活用を進める戦略を構築していくべきであると考えています」

PwCコンサルティング
シニアマネージャー
AI Agentが製薬業界にもたらす「未来像」とは
現在は、フェーズ3「社会を変える」への移行を見据え、AI Agentへの取り組みも進めている。
「AI Agentは、生成AIよりも多様な観点で、1つのテーマに対する一定の解を導き出すことができます。製薬業界の研究開発では、化合物や疾患領域といったサイエンスの観点からビジネスの観点まで、さまざまな観点を踏まえた議論や検討が必要ですが、どうしても時間がかかりますし、時には開発の手を止めざるをえない状況もあるでしょう。しかし、AI Agentで一定の解を出すことで、議論や検討の時間を大きく削減し、内容の凝縮につながります」(大森氏)
鈴木氏は、「匠の技」はテクノロジーを正しく活用することでさらに形式知化できると話す。「研究者や開発者など専門知識を持つ社員の暗黙知をAI Agentに教えて形式知化し、レバレッジをかけることで、トータルの開発プロセスを大幅に縮められれば、『膨大な時間とコストがかかる』という製薬の世界を根本から変えることにもつながります。そのインパクトを、外部パートナーとのエコシステムを構築し、社会実装することでさらに大きくし、社会を変えていきたい」。
AI Agentはそれだけ大きなインパクトをもたらすだけに、ビジネスモデルを変える可能性もあると森田氏は指摘する。
「今まで知的産業と言われる業界では、知見や経験といったデータ・ナレッジをストックして価値を生み出していくビジネスモデルが主流でした。しかし、AI AgentやAGI(汎用人工知能)が当たり前の時代になると、AIが膨大な試行数で生み出したデータをさらにAIが活用するフロー型のビジネスモデルが従来型ビジネスモデルを一気に凌駕し、現状競争優位な企業が競争力を失っていくシナリオも十分に考えられます。つまり、競争力を発揮するビジネスモデルが短時間で変わる可能性がありますので、つねに業務ドメイン知見に基づきAIが解決すべき課題を適切に捉え、AIによるソリューションを求めていくAI時代のビジネスアーキテクト育成も今後重要な経営課題となってくるでしょう」
中外製薬が5年でDX先進企業となった理由
AIの時代、中外製薬は、つねにその先を見据えているのだろう。しかし、その一方で鈴木氏は「中外製薬だからここまできた、ということでは決してありません」とインタビューを締めくくった。
「弊社がDXに取り組み始めて、まだ5年しか経っていません。短期間でここまで来られた最大の要因は、やはり経営層のコミットメントです。コミットメントとつねに支援し続ける文化があるからこそ、戦略を実行できました。まずはトップのコミットメントと、変革に向けた挑戦を後押しすることが、DXを推進しビジネスを成功させる最も重要なカギだと思います」
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