OpenAIアルトマン氏が手がける「World」の真価 AI時代に「人間である」証明が必要になるワケ

AIの進化で「人間であること」の証明が重要に
AI技術の進化は目覚ましく、人間のように幅広いタスクをこなせるAGI(汎用人工知能)の実現も現実味を帯びてきた。AGIの誕生は、業務の効率化をはじめ、教育や医療の発展など、社会にさまざまな変革をもたらすと期待されている。
一方で、新たな問題を招くリスクもある。「AGIが人間のように振る舞うことで、本物の人間と区別するのが困難になってきます」と牧野氏は指摘する。
すでにオンラインの世界では「ボット」と呼ばれる自動プログラムが横行し、さまざまな問題を引き起こしている。チケットや限定品の買い占め・転売、SNSでの偽情報の拡散、クリックや閲覧回数の水増しによるオンライン広告詐欺などは、その代表例だ。
そして今後、AIの進化でボットの生成はさらに容易になると同時に、ボットがより人間らしく振る舞って、人間と見分けがつかないようになっていく。人間であることを確認する既存の認証手段も、高度なAIでは突破される可能性もある。
そうなると、インターネット取引における詐欺の増加や、ネット上の意見やレビューがボットによって操作されて、何が本当に信頼できる情報なのかわからない、といった事態も起こりうる。
「ボットが人間になりすますことで、社会システムや個人の信頼が揺らぎかねません。そのため、AGI時代にはオンライン上で『人間であること』そして『唯一の存在であること』を確実に証明する方法が必要になると考えています」(牧野氏)

独自開発の端末「Orb」を使って
「人間」「唯一」であることを証明
この問題に着目して、新しいIDの仕組みを構築しようと考えた人物がいる。ChatGPTで生成AI時代の先鞭をつけたOpenAIのサム・アルトマン氏だ。
アルトマン氏は仲間と一緒に2019年にWorldのプロジェクトを発足して、Tools for Humanityを創業。人間しか持てず、かつ1人に1つしか割り当てられない「World ID」の開発に着手し、23年7月に運用を開始した。
OpenAIがChatGPTの公開を始めたのは22年11月。アルトマン氏は、その前からAGI普及後の世界を見通して準備を始めていたのだ。

仕組みを簡単に説明しよう。World IDの取得を希望するユーザーは、まずスマートフォンに「World App」をダウンロード。認証デバイス「Orb」が設置してある場所に赴き、人間であることの確認を受ける。
確認は顔や温度など複数の要素で行うが、特徴的なのは目の虹彩を利用した認証だ。虹彩は指紋のように一人ひとり異なるため、過去に認証済みのユーザーと重複がない「唯一の人」であるかを確認できる。それにより、1人が複数のIDを持つことを防いでいる。
「虹彩は重複がないことの確認に使うのみなので、認証は最初の一度だけ。虹彩の画像は虹彩コードとして文字列のコードに変換されたうえで、分割して複数の大学や研究機関に置かれたサーバーで分散管理されます。当社を含めて虹彩コード全体を保有する組織はなく、虹彩画像への復元は不可能なので、情報が漏洩する心配もありません」(牧野氏)
現在、World IDを持つユーザーは世界160カ国以上におり、アプリのユーザーが約2500万人、Orbで認証を受けた人は約1200万人に上る。日本国内でOrbは約60カ所に設置されているという。
「認証にかかる時間はほんの数分。カフェやアパレルショップなどに置いているので、気軽に利用していただきたいですね」と牧野氏は語る。
ゲームやマッチングアプリで「World ID」が採用
実際に、ボット対策でWorldを導入した事業者も増えている。例えば世界的なゲームデバイスブランド「Razer」とゲーム会社「TOKYO BEAST」は今年3月に、World IDの導入を発表。ボットが人間になりすましてゲームに参加することを防ぎ、人間のプレーヤーしかいないプレー環境の担保を図っている。
また、5月にはマッチングアプリ「Tinder」を運営する米Match Groupとの提携も発表した。Tinderでアカウントを作成する際に、ユーザーがボットではないことを認証する方法としてWorld IDを取り入れる。これにより、実在するリアルな人間であること、かつ18歳以上であることを、個人情報を一切出すことなく確認できるようになるという。2025年内に日本市場で先行してパイロット版の提供を開始する計画だ。

Tinder登録時に、実在する人間であることの確認としてWorld IDを使った認証が可能になる
ほかにも、北米ではeコマースプラットフォーム「Shopify」がWorld IDを採用して、1人のユーザーが何度もクーポンを取得することを防いでいる。
行政でもトライアルが始まっている。行政が求めるパブリックコメントに一部の人がボットで大量に意見を寄せれば、一部の意見が政策に影響を与えかねないが、World IDはこうした問題の解決策になる可能性がある。

台湾議会とのトライアルで開発したオンライン投票のデモ画面。①②政策に関する質問に回答し、③「World ID」で認証を行うと、④1人1回に限って投票が完了する
「台湾の議会とは、オンライン国民投票にWorld IDを活用して、ボットに投票結果を左右されない仕組みを作る試みを行いました。World IDが証明するのは人間であることと1人に1つということだけで、個人情報とはひも付いていません。匿名性が求められる領域では、World IDの特徴がより生かされるでしょう」(牧野氏)
暗号資産「Worldcoin」は未来への投票権になる
World IDには注目すべき特徴がもう1つある。World Appにウォレット機能があり、暗号資産(仮想通貨)「Worldcoin(ワールドコイン)」をはじめとした仮想通貨の管理ができることだ。

World AppではWorldcoinのほか主要な仮想通貨の管理ができる
「Worldには一般的な収益化という意味でのビジネスモデルがありません。アプリに広告はないし、導入する事業者から手数料をもらってもいない。どこからも収益を得ずに運営ができるのは、自らWorldcoinを発行しているからです。
最初はVC(ベンチャーキャピタル)の出資を受けましたが、World IDやOrbの開発に充て、リリース以降はWorldcoinを市場に発行することで運営資金としています」(牧野氏)
現在は、ユーザー数拡大を狙ったマーケティング施策の一環として、Orbでの認証時にユーザーに一定額のWorldcoinを配布している。米国では今後、決済大手ビザ(Visa)との提携で「World Card」を発行し、加盟店でWorldcoinを利用した支払いが可能になる予定だという。「Worldcoinの使い道の幅が広がる見込みです」と牧野氏は話す。

実は当初、WorldプロジェクトはWorldcoinという名称でローンチされたが、2024年10月にリブランディングされ、Worldcoin自体はプロジェクトを構成する一要素として位置づけられている。牧野氏は最後に熱くこう語った。

「私たちの存在意義は、誰でも使えるIDとウォレットの公共的なインフラを社会実装すること。WorldはWeb3の理念に基づき分散型で設計・運営されているので、普及後はTools for Humanityの会社が消えてもインフラの存続に影響しません。
Worldcoinは株式会社でいえば株式、投票権のようなものであり、それを持つことでWorldの運営にも参画できます。AI時代に欠かせない未来のインフラづくりに、ぜひ参加してほしいですね」
日本国内でも「Orb認証」の取り組みが加速
Worldの認証デバイスOrbは世界23カ国・地域(2025年5月31日現在)で展開されている。日本国内でも設置箇所は増えており、Tools for HumanityではWorld IDユーザーの拡大を目指した取り組みを推進中だ。

その1つとして、岡山市にある奉還町商店街では、World IDを活用して商店街の活性化を目指すプロジェクトを25年3月から実施している。ユーザーは商店街に設置されたOrbで認証し、World IDを取得すると、付与されたWorldcoinを商店街で利用可能な商品券に交換することができる。
「この取り組みによってユーザーは増え、取得した商品券を商店街で利用する人も多いそうです。街の活性化につながるこの取り組みを、ほかの地域にも横展開していきたいですね」と牧野氏。
また、国内約60カ所にあるWorld Space(Orb設置場所)の1つ、東京・中目黒のカフェ「The World Cafe」店長の松井さんは「(店内でのOrbの設置による)集客効果は高い」と話す。

「World IDの認証を受けるために足を運んでくださるお客様は、年代を問わず多いです。店頭に『人間と証明できたら一杯無料』という看板を出したら、それに引かれて飛び込みで来る方も増えました。1人でも多くの方に利用いただき、Worldの世界観が実現するのに貢献できるとうれしいですね」
奉還町商店街でのプロジェクトは25年9月までを予定している。このほか、同社では今後も東京都内をはじめとする各地で、Orb認証を体験できるイベントなどを展開していく予定だ。