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クラウド・コンピューティングが与えるグローバル経営のインパクト

八子 知礼(やこ・とものり)
デロイト トーマツ コンサルティング パートナー
情報・通信・メディアセクターリーダー。通信、メディア、ハイテク業界を中心に、新規事業戦略立案、CRM/顧客戦略立案、商品/サービス/購買戦略、バリューチェーン再編などのプロジェクトを多数手掛けている。著書に『モバイルクラウド』『図解 クラウド早わかり』(いずれも中経出版)、そのほか寄稿・講演多数。クラウド利用促進機構アドバイザー、新世代M2Mコンソーシアム理事を務める。

急速に普及が進むクラウド・コンピューティング

近年、IT業界ではクラウド・コンピューティング(以下、クラウド)が注目されている。クラウドとは、コンピュータ処理を必要なときにだけ、ネットワーク経由で利用するモデルのことで、セールスフォース・ドットコム、マイクロソフト、グーグル、日本だと富士通やNTTコミュニケーションズなどが、主なベンダーである。

クラウドの概念や技術自体は以前より知られていたが、ここ数年ほどの間に企業が扱うデータ量が爆発的に増えたことから、その注目度が急激に高まった。世界でやり取りされるデータの総量は2009年の段階で0.8ゼッタバイト。それが2020年には35ゼッタバイトに到達する見込みだ。ゼッタバイトとは電気屋の店頭で売られている1テラバイトのハードディスクの10億倍に相当する。ここまでのボリュームになると、一企業が自社だけでデータを管理することが難しい。一方で、取り扱いデータ量が増えたことでデータセンターにおける単位当たりのデータ管理コストが大きく下がり、特にリーマンショック後、コスト削減を迫られた企業にとって、ITの領域を見直す際にクラウドの魅力が高まった。こうして多くの企業が、膨大なデータを自社で抱え込まず、クラウド上に移行するようになったのである。

ビジネスモデルや経営者の意思決定に与える影響

いまやIT企業に限らず、あらゆる企業がこのクラウドに注目している。なぜならクラウドはコスト面のメリットを提供できるだけでなく、ビジネスモデル、ワークスタイル、あるいは経営者の意思決定のあり方までも変えつつあるからだ。

特に、グローバル経営においてクラウドは大きな役割を果たす。世界中のどの拠点からも同じデータ、同じアプリケーションにアクセスできるからだ。たとえばファーストリテイリングは、人事システムをグローバルワイドでセールスフォース・ドットコムの基盤上に作った。セールスフォース・ドットコムの基盤は「メニュー」画面から言語を切り替えるだけで、世界数十カ国の言語に対応できる特徴がある。

これまでなら、日本国内向けにまずシステムを作り、その後、海外にロールアウトしていくという「まわりくどい」アプローチを取らざるをえなかった。しかしクラウドが登場した今では、あらゆるものを瞬時に、グローバルへと展開することが可能になっているのだ。いや、むしろビジネスを立ち上げたその瞬間から「フルスケール」する。すなわち、クラウドによって世界共通のコンピューティングリソースを提供することによって、戦略視野を一気にグローバルに見据え、組織マネジメントや人材育成の仕組みも世界展開できるだけのインフラ環境が整っているといえるだろう。こうしたクラウドのインパクトがビジネスモデルや経営トップの意思決定に及ぼす影響は計り知れない。

海外事業の拡大あるいは撤退といった場面でも、クラウドが持つITインフラをスピーディかつ臨機応変に増減することができるというメリットが有効である。従来であれば不確定要素が多いために「Not Go」の判断をせざるをえなかった案件でも「Go」の判断を出せたり、あるいは、検討に時間がかかった案件の意思決定を早めることを意味する。

ビジネスのあらゆる領域で進むコンバージェンス

「クラウド」技術が注目を集める時代背景には「コンバージェンス(収斂する)」というキーワードもある。コンバージェンスとは、まったく異なるもの同士が1つに収斂し、ユーザーに対する新しい「エクスペリエンス(経験)」を提供することだが、今、ビジネスのあらゆる領域でこのコンバージェンスが起こっている。

そしてクラウドで最も期待されているのは、このコンバージェンス領域においてかもしれない。クラウドを使えば、1つの企業に閉じないで済むからだ。たとえば、自社、取引先、パートナーシップを組む代理店、バリューチェーンを構成する拠点などと、共通する1つの基盤の上で、データやアプリケーションを運用できるようになるわけだ。そうすると、バリューチェーン上の情報をみんながリアルタイムに把握できることになる。これがどのようなインパクトをもたらすか。たとえばあるeコマース企業では「誰が何を買っているのか」を分析して店舗にフィードバックするのに、これまでは数カ月かかっていた。しかしクラウドの基盤を使うことで、これを半日に短縮させ、品切れを起こさないようにし機会損失を低減するなどして、役立てている。

また、クラウド化によるコンバージェンスが進み、経営そのものがどんどんリアルタイムに近づいている。前述のような機会損失の低減、人的リソースを売れるものやチャネルにシフトさせる最適化、業務の流れを変えるといった経営の意思決定にしても、もはや月次、週次では遅い。午前に得た情報から午後に意思決定するくらいのスピード感が求められることになるだろう。

なお、コンバージェンスの時代には、IT回りの意思決定をIT部門以外が行う場面が増えていくであろう。たとえば、IT投資を検討するのはこれまではCIOだったかもしれないが、今後はCMO(Chief Marketing Officer)や事業ラインのトップがIT投資を積極的に推進していくことになるだろう。

というのも、これまでCMOがプロダクトを外部に訴求しようとする場合、大きなコストを投入するのはテレビであったが、現在はウェブサイト、ソーシャルメディアにコストを投入し、顧客との関係性を強化していく戦略へと軸足を移しているケースが散見されるからだ。そのためにはCMOは、インターネット上の、顧客のあらゆる活動をキャプチャーし、分析する必要がある。そのためには膨大なデータをクラウド上に蓄積し、管理することが不可欠になり、IT投資の意思決定に無関係ではいられなくなるのだ。

クラウド時代のリスクとは 

以上、クラウドによってもたらされる新たなビジネスの姿を概観した。最後に、クラウドに関連する注意点についても言及しておく。たとえば、ネットワークを通じてデータセンターにアクセスするモデルであることから、データが漏洩しないように個人情報保護をグローバルレベルでより強固にする必要がある。具体的には、データガバナンスを強化した業務体系を構築する必要があるだろう。

しかし、ビジネスモデルの観点において、クラウドに関する日本企業のいちばんのリスクは、慎重になりすぎて、大きなトレンドシフトに乗り遅れてしまうことかもしれない。冒頭でもご紹介したとおり、クラウドは、かつては何十年もかかったグローバル展開を、その日から可能にしてしまうようなスピードを企業に与えるインフラになりうるのだ。これを好機と捉え、積極的に活用して、スピーディなグローバル展開の基礎インフラとし、その上に人・モノ・カネの情報を世界規模で配置し、柔軟にオペレーションに生かすことこそ、グローバルに生き残る企業の条件といえるのだ。