朝鮮出兵時の「耳鼻削ぎ」は常軌を逸していた 手段と目的が倒錯して起こる"狂気"
“耳鼻削ぎ”とは穏やかではない。というか、野蛮。現代人はそう感じるだろう。日本の歴史上で耳や鼻を削ぐといえば、戦国時代の話かな。敵の首をいくつとったか戦功を証明するのに、首だと持って帰るには重いから耳。いや耳だと左右二つ削いで数をごまかせるので鼻になったんだっけ。いやはや、戦国時代は血腥い…。
日本各地の耳塚、鼻塚を調査
著者は日本各地の“耳塚”“鼻塚”を訪ね歩き調査する。無惨に討たれた武士たちの耳や鼻が何百と葬られたというのなら、さぞや怨念が染み付いているだろう、怨霊話もあるだろう。耳や鼻を削ぐという行為の意味もみえてくるだろう、と思いきや。なぜかどこへいっても「耳の神様が耳の聞こえをよくしてくださるところ」という話ばかりだったのだという。
私は日本中の耳塚・鼻塚を訪ねてまわり〜(中略)けっきょくのところ、どこの耳塚・鼻塚からも不気味な怨霊譚が聞かれることはなかった。それどころか〜(中略)土地の人から愛され、ご利益を信じられている耳塚はほかにも確認することができた。おどろおどろしげな耳鼻削ぎの伝承とは対照的な、霊験あらたかな耳塚への地域の人たちの思い。このギャップは、いったいどう考えればよいのだろうか?
じつは民俗学の二大巨頭、柳田国男と南方熊楠は、この件について正反対の意見を持ち、その論争ゆえに絶縁状態になったほどだという。日本社会に耳鼻削ぎなどという「いたって惨酷なる風習」があったことを認めるか否か。
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