「5浪京大」彼女の合格導いた"80歳恩師"との別れ 予備校を転々としていた彼女、恩師の教えとは

✎ 1〜 ✎ 68 ✎ 69 ✎ 70 ✎ 最新
拡大
縮小

にこにこさんは経営者の父親と、専業主婦の母親のもと、大阪府で生まれました。教育熱心な家庭で、幼少期からたくさん勉強をしていたこともあり、私立の小学校に通ったそうです。

「小学校に入ってからは、幼少期から通い続けていた七田式教室を含め、ピアノ・水泳・英語の習い事をしていました。習い事があるので、自分の自由な時間はなかったですが、やらされていた感はありませんでした。習い事には、むしろ遊びに行っている感覚だったので、楽しかったですね」

テストの成績も悪くなかったそうで、小学校4年生になると浜学園に入り、中学受験の準備を始めます。

関西有数の難関女子校である神戸女学院中学部を目指した彼女は、第1志望の神戸女学院と第2志望には落ちてしまったものの、なんとか第3志望の中高一貫校に合格しました。

しかし、第1志望校・第2志望校に落ちてしまったことは、大きな心のしこりとして彼女の中に残り続けることになります。

中学受験の挫折によって、入学して間もない1年生から大学受験での挽回を意識し始めた彼女。ところが「学校の授業の間に、塾の課題をやらないと、塾の授業についていけなかった」ため、学校での成績は下がってしまったそうです。

「小学生のときから、周囲の人はすでに大学受験を意識していたので、いい学校に行くことが(自分にとって)いいことだという考えがありました。そのため、中学1年生のときから研伸館に通い、いい大学に行くために高校3年生まで、ずっと塾で出される課題についていくために勉強をしていました」

予備校の勉強に追われる高校生活

そして、高校に上がるタイミングで、京都大学の法学部を第1志望に設定します。

「当時は学校の授業が終わったあと、ほぼ毎日、17時から21時まで研伸館の授業を受けて、家に帰っていました。学校の勉強はまったくやらずに、期末テストの範囲がどこかもわからない状態で受けていましたね……。とにかく塾のテキストを頑張ってこなす日々でした」

結局、中学に入学してから初めてのテストでは300人中5位だった彼女の順位はどんどん下がってしまい、高校3年生の最後のほうには150位を切って、下から数えたほうが早くなってしまいました。

学校の成績を犠牲にして京大受験に力を割いた彼女でしたが、模試の判定は、無情にも、3年間ずっとEだったそうです。

関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT