80年代、東大駒場に流れていた自由な風の正体 異色の教養シリーズ「欲望の資本主義」の原点

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それで、慶応大学の経済学部に進学したのですが、ここでまた単線的には進めない悪い癖が出たのか(笑)、もっと世界を広げようと東大の駒場に下宿し、慶応に通うのと同じぐらいに、教養学部のキャンパスを歩き回る生活を送るようになりました。当時、アカデミックであると同時にジャーナルな仕事もされている、個性的な先生方も多かったんですね。

たとえば、経済学者でありながら『大衆への反逆』なども著し社会批評家でもあった西部邁さんが「経済原論」を講義されていたわけですが、ある意味自らが説く近代経済学に対して自ら疑問を持ちながら、将来官僚を目指すような人々を目の前にして語っているわけです。

西部さんが最後の講義で、「さて皆さん、私はこの一年、経済原論なるものを講義してきたわけですが、これは砂上の楼閣でありまして……」という締めの言葉に、文一や文二の学生たちが「シー」とブーイングを始める場面もありました。それでも淡々と話し続ける西部さんの姿が記憶に残っていますが、時代を象徴するシーンでした。

「学習」を突き抜けた「学問」の世界に遊ぶ

『ヴェニスの商人の資本論』を著されたばかりの岩井克人さんの講義も心躍るものでした。岩井さんも「経済原論」を講じつつも、ご自身の見ている世界はスタンダードな理論の先、既存の枠組みを超えた御自身にしか見えない風景をイメージしながら話されているのではないかと感じていました。

今の時代では難しいかもしれませんがそういった方々の講義に潜って、講義の言葉のさらに背後にある思いなどを感じ取ろうとしていた、ある意味生意気な学生でした。岩井さんの時には講義後に質問までしまして、実はそのことが岩井さんの記憶に残っていてくださり、「欲望の資本主義 特別編 欲望の貨幣論」の取材で、およそ35年ぶりにカメラの前で再び質問させていただくご縁にもつながっています。

他には、科学史、科学哲学の村上陽一郎さんも印象深いです。「パラダイム転換」という言葉がちょっとした流行のキーワードになっていた時代で、文理を超えて、科学という客観性が命のように思われる学問のありようも「時代的文脈」によって相対化されることが議論されていた時代だった記憶があります。

面白いもので、単位などの義務感とは関係なく教室を覗くほうがリラックスして頭に入ってきて、まるで知のライブ会場にでもいるような思いで講義を楽しませていただいた感覚をよく覚えています。

当時の駒場キャンパスの空気は何か特別で、自由で開放的な風が流れていました。渋谷から程ない距離のところに突然開けた森の中の空間という感じで、そんな場所でいろいろと想像力の世界に遊ばせてもらった日々は、とても貴重な経験となっています。

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