「倍速消費」並みになった合意形成のスピード感 政策が次々と「検討なく」決められている理由

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古川:そうではなくて、この「大学改革」がどう国益を損なうのか。そういうナショナルな問題として語らなければ、文字どおり国民的な問題にはなりません。しかし、彼らはそういう語り方をしない。それは、ナショナリズムに立脚することを、彼らが嫌がっているからだと思います。自分をナショナリストだとは思いたくないし、思われたくないんですね。

こうして結局、右も左も、ナショナリズムを放棄しているんです。その結果が、現在のような合意形成を放棄する政治なのだと思います。

目標設定者が永久免責される「日本型PDCA」

佐藤:施さんのお話で興味深いのは、各国の国家目標が「外部の存在」によって決定されるという箇所です。われわれの世界は主権国家によって構成される以上、全ての国の外部に位置しているのであれば、多国籍企業は世界そのものの外側、「どこでもないどこか」に存在することになる。

関連して思い出されるのが、『新自由主義と脱成長をもうやめる』で古川さんがおっしゃった「PDCAサイクル」をめぐる話。もともとこれは、自分たちで目標を立てて実行し、結果を踏まえて改善を重ねることでした。ところが日本の大学の場合、なぜか目標は「お上」が勝手に決める。現場の人間は、どうやったらそれに適応するかを必死に考えるだけになっている。瓜二つではありませんか。

古川:PDCAサイクルは、佐藤さんがおっしゃった「意地になって強行する政治」にとってきわめて好都合です。なぜなら、あれは政策立案者が責任を免れる構造になっているからです。立案者が「目標」を定めて、それを現場に丸投げする。現場はその目標を達成するための「計画」を立てて、それをひたすら「改善」し続ける。こういうシステムですから、成果が上がらなくても、それは「目標」が間違っているのではなく、それを達成するための「計画」が不十分だからだということになり、「目標」を立てた政策立案者自身は永久に免責されることができるんです。「改革の理念は正しい。成果が上がらないのは、現場に『抵抗勢力』がいるからだ」という、あちこちで見られる改革派たちの理屈と、まったく同じです。

本来のPDCAというのは、Pの中に「目標」も含まれていますから、目標そのものが正しいのかどうかも、絶えず「反省・改善」していかなければなりません。「目標」を立ててみたが、いろいろ反対意見が出たとか、少しやってみたらまずい結果になったとか、そういう場合は、すぐに「目標」そのものを「反省・改善」しなければならないはずなのに、それは絶対にやらない。だから本当は、「PDCAを回せと言っているお前たち自身が、いちばんPDCAを回してねえじゃねえか」っていう話になるんですよ。

佐藤:「決められない政治」などと批判されていた頃のやり方こそ、じつは正しいPDCAサイクルの姿であり、現在PDCAと呼ばれるのは硬直した権威主義であると。

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