「半導体のプロ」坂本幸雄氏はなぜ中国に賭けたか 「いずれ中国のIC微細化は限界迎える」と予見

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坂本氏は「日本TIの社長になれなかったのは大きな挫折だった」と回顧しており、順調に出世していればエルピーダの社長を引き受けなかった可能性が高い。エルピーダが健在で、DRAMの世界シェアでサムスン電子など韓国勢を再逆転する目標を達成していれば、坂本氏は引退していたかもしれない。

2013年7月、エルピーダはアメリカのマイクロン・テクノロジーに買収された。発表会見後に報道陣に囲まれる坂本氏(写真:梅谷秀司)

本人にとっては、エルピーダの破綻は経営者として負けであり、リベンジの場を中国企業に求めたのだろう。

坂本氏は2002年のエルピーダ移籍の直前まで聯華電子(UMC)の日本子会社の社長を務め、移籍後は力晶半導体(パワーチップ)と提携するなど台湾メーカーと縁が深かった。

中国政治の変化に翻弄される

中国とのパイプを築いたのは2008年以降だ。かつての「坂本番」記者で、現在は中華圏の企業動向の研究を専門とする筆者は、坂本氏と中国の関係には4つの段階があったと分析している。

1つ目はエルピーダが2008年8月に発表した江蘇省蘇州市でのDRAM工場の建設だ。市政府系の投資会社との合弁事業だったが、直後に起きたリーマン・ショックでDRAM市況が急速に悪化し、市政府側の翻意で白紙になった。

2つ目は安徽省合肥市のDRAMプロジェクトだ。坂本氏が設立したサイノキングテクノロジー社が開発・生産技術を担当し、市政府側が集めた資金で工場を建設する青写真を描いた。2016年には記者会見まで準備したが、旗振り役だった市長が習近平指導部による反腐敗運動で失脚し、立ち消えとなった。

3つ目は2019年11月、国有半導体メーカーの紫光集団の高級副総裁に就いたことだ。重慶市でのDRAM工場建設の責任者に指名され、JR川崎駅前のビルでは日本・台湾のDRAM技術者が100人規模で働けるオフィスも整備していた。紫光はその後、資金繰りが悪化し、2022年1月に法的整理に追い込まれたが、坂本氏も直前の2021年末に離職を余儀なくされていた。

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