ヨーカドー、大量撤退で「無責任」批判なぜ起きた 「地元の商店街をぶち壊したのに…」の声の"誤解"

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こうした構図は、なぜか私たちの頭の中に小売りをめぐる「型」としてインストールされている。「ありきたりな決まり文句」を「クリシェ」というが、まさにこうした言説は小売りをめぐるクリシェである。

今回、ヨーカドーが撤退するというニュースを受けて、私たちの中にあるそのクリシェが顔を出した、というわけだ。

しかし、この「スーパーが商店街を潰した」という構図、実はかなりイメージ先行のものであることを指摘しなければならない。

まず、最初に断っておかなければならないのは、もちろん、日本全国でみれば、ヨーカドー等のGMSが出店したことによって存続が厳しくなった中小小売店が存在することも確かだ、ということ。それはもちろん認識したうえで、このクリシェに隠された「ウソ」を見ていきたい。

『日本流通史: 小売業の近現代』などの著作を持つ満薗勇によれば、そもそも「商店街」という小売りの形態が本格的に成立したのは1920〜1930年代で、全盛期を迎えたのは1950年〜1970年代。そして、衰退期を迎えるのは1970年代以降。「商店街実態調査報告書」によれば、自身の商店街を「繁栄している」と回答したのは、1970年の39.5%から1990年には8.5%になる。

満薗が指摘するのは、この商店街が最も栄えた1950〜1970年代は同時に、総合スーパーが隆盛を極めた時期でもあったということだ。ダイエーが大きく店舗を伸ばしたのは1960年代だし、ヨーカドーがGMSとして「ヨーカ堂」となったのも1958年のことだ。

私たちのイメージの時系列でいえば、「商店街」→「スーパー」という流れで捉えられることが多いのだが、実はこの2つはかなりの時期、共存してきたのである。

「大店法廃止」への批判も、実は的外れ

実は、こうした併存の形は、現在でも都内を中心とするヨーカドーではかなり見ることができる姿でもある。

一つ前の記事で、筆者は23区のヨーカドーすべてを実際に見て回ったのだが、例えばヨーカドー大森店の近くには、大森の商店街があって、基本的にはどちらも賑わいがあった。私たちが「スーパーvs商店街」と思うほどには、その両者は鋭くは対立しないのである。

関連記事:イトーヨーカドー、23区全店訪れて見えた"厳しさ"

また、こうした議論のときによく言われる「大店法廃止」の影響も、実は時期からいうと検討はずれの批判だ。

次ページスタート時にはすでに商店街の衰退は始まっていた
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