花山天皇も驚いた「藤原道長」の豪胆すぎる性格 青年時代から兄たちよりも数段優れていた?

拡大
縮小

道長と公任は従兄弟の関係。さらには、同い年でもありました。そのため公任に対して、兄たちよりも、激しい対抗心を道長は燃やしたのではないでしょうか。

『大鏡』には、道長の青年時代のエピソードが、ほかにも収録されています。例えば、次のようなものです。

花山天皇がまだ御在位のときでした。5月下旬の不気味な闇夜のこと。五月雨の時期もすぎたというのに、外は激しい雨が降っていました。

花山天皇は物寂しいと思われたのでしょうか。清涼殿の殿上の間に御出ましなされて、殿上人を相手に他愛のないお話をされていました。

光る君へ 大河ドラマ
花山天皇。大河ドラマでは本郷奏多さんが演じる(写真:大河ドラマ公式インスタより引用)

やがて、話題は昔の怪談話になっていきました。その時、花山天皇はふと次のようなお話をしました。

「今夜は、とても気味が悪い夜だ。このように、周りに人が多くいても、不気味な感じがする。そうであるのに、人気のない遠く離れたところは、どのような感じであろうか。そのようなところに、1人で行けるであろうか」と。

ほとんどの者は「とても、そのようなところに参ることはできないでしょう」と答えます。

「どこにでも行く」と答えた道長

しかし、その中で道長だけが「どこにでも参りましょう」と申し上げたのです。

道長の答えを面白く思われた花山天皇は「それは興味深い。ならば、行け。道隆は豊楽院、道兼は仁寿殿の塗籠、道長は大極殿へ行け」と仰せになりました。

花山天皇の御命令を受けた道隆と道兼は、顔色も変わり、困ったことになったという雰囲気が漂います。

しかし、道長はそのような様子もなく「私の従者は連れて行きません。この近衛の陣の吉上でも、滝口の武士でも、1人を召して『昭慶門まで送れ』とご命令をお下しください。そこから内には1人で入りましょう」と言い放つのです。

花山天皇はそれに対し、1人で中に入ったのでは、本当に大極殿まで行ったか否か「証拠がないではないか」と仰せになります。

道長も「なるほど」と思い、花山天皇がお手箱に置いておられる小刀をもらい受けて、座を立ちました。

道隆と道兼も、渋々ながら、その場を離れます。花山天皇は「道隆は右衛門の陣から出よ。道長は承明門から出よ」と出る門までも、分けられました。

関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
【田内学×後藤達也】株高の今「怪しい経済情報」ここに注意
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT