50年前、無名の土地がシリコンバレーになった背景 夜8時半以降は夕食を食べるところがなかった

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『The CODE シリコンバレー全史』に書いたのは、私たちがどうやってそのソフトに喰い尽くされる世界にやってきたかという話だ。これは、カリフォルニア州の緑豊かな峡谷が、ビジネス成功のコードを解明し、時期尚早な死亡宣言を何度も克服して、次から次へとハイテク世代を生みだし、そして世界の実に多くの場所がいくらやっても真似られない場所へと変貌した、70年にわたる物語となっている。

それはまた、現代アメリカの歴史でもある。政治的な分断と集合行動の物語、驚異的な機会と息の詰まるような偏見の物語、工場閉鎖と証券取引所の大繁盛の物語、ワシントンの大理石の廊下から、ウォール街のコンクリートの谷間へと到る物語だ。というのもこれらは、シリコンバレーを可能にしてきた多くのものの一部であり、そして同時にこれらはシリコンバレーにより作り替えられてきたものだからだ。

反エスタブリッシュ的な比喩まみれ

シリコンバレーが一般的に意識されるようになった最初の瞬間から、それは革命的で反エスタブリッシュメント的な比喩まみれとなっていた。「自分だけの革命を始めよう――パーソナルコンピュータで」というのが、新生の1978年『パーソナルコンピューティング』誌の広告だった。「パーソナルコンピュータは、わが大陸が人類文明に対して行った最大の貢献であるアメリカ革命のあの遺物――起業家というものにとっての最後のチャンスなのだ」とハイテク業界紙『インフォワールド』は1980年に宣言した。

その4年後、アップル社が新商品マッキントッシュ・コンピュータを世に問う準備を行う中で、同社の重役たちは「この製品の過激で革命的な性格」を強調した。その一つの結果が、史上最も名高いテレビ広告の一つだ。1984年スーパーボウルの間に何百万ものアメリカのリビングルームに、口をあんぐりさせるようなCMが放送されたのだ。精悍な若い女性が、物憂げな観客の間を走って、青い画面に投影されたビッグブラザーめいた映像にハンマーを投げつけて、それを粉砕するのだ。

これはきわめて露骨に、アップルの主要なライバルたるIBMに対するパンチとなっていたが、同時にマーケティング契約や広告スローガンを超えた、ハイテクおたくに流れるもっと広範な反エスタブリッシュメント感情を反映するものだった。

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