山手線でいちばんおめでたい?「恵比寿」駅名秘話 ルーツはビール工場、銘柄が周辺の地名に波及

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工場が建設された丘陵地は水利に乏しくて稲作には適さず、江戸時代には宇和島藩伊達氏の下屋敷ぐらいが目立つ程度の土地であった。それゆえに広い敷地の取得は容易だったのだろう。工場の完成は1889年。先だって1885年には、すぐそばを通る日本鉄道品川線(現在の山手線)が開通している。

山手線庚申道ガード
山手線の歴史を刻む庚申道ガード(筆者撮影)

ビールなどの瓶入りの飲料は、かさが張り重いため、鉄道を主な輸送手段とする時代が長く続いた。現存する全国のビール工場の多くが、線路の近くにあるのはそのためでもある。日本麦酒醸造も品質の良いヱビスビールの人気の高まりもあって事業を拡大しており、山手線を活用しない手はなく、日本鉄道もこれに応じた。

始まりはビール専用駅

1901年2月25日、ビール出荷専用の貨物駅が工場脇に設置された。その時、駅名をビール名にちなんで「恵比寿」としたのであった。後に周辺地域の人口増加に伴って、1906年に約300m渋谷寄りの現在地に移転し、同年10月30日に旅客営業を開始。そのまま恵比寿駅を名乗った。原宿駅開業と同日である。そしてその翌々日、日本鉄道は買収され国有鉄道の駅となった。

恵比寿とは七福神の一員であり、商売繁盛の神様として信仰を集めている。縁起のよい名前で、村はずれにあたるために特に著名な地名も周囲になく、駅名としてはすんなり受け入れられたようだ。

なお、恵比寿麦酒は当初、同じ七福神の大黒天にちなんで「大黒ビール」と名付けようとしたそうだ。しかし、すでに存在していたため恵比寿に変更したという。もし、大黒のままであったら、駅名も地名も変わっていたかもしれない。

恵比寿スカイウォーク
恵比寿スカイウォーク。奥の恵比寿駅から恵比寿ガーデンプレイス方面へ続く(筆者撮影)
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