迷惑行為続出「廃墟ホテル」撤去が難しい複雑事情 白樺湖の廃墟でYouTuberの撮影や肝試しなども

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池の平ホテル&リゾーツの矢島義拡社長(40)は、「廃屋を面白おかしく発信することに怒りを感じる。廃屋が点在していることも、それが発信されることで時代遅れの観光地というイメージが広がることも、地域の長年の課題になっている」と語った。

白樺湖 廃墟
2000年ごろから放置された大型ホテルにはYouTuberがしばしば撮影に訪れる(写真:筆者撮影)

白樺湖は80年前まで高原の樹木が生い茂る湿地だった。農業用水を確保するため1940年代に建設された人工の温水ため池が現在の白樺湖だ。

矢島社長の祖父の矢島三人氏(故人)は、農地開拓のために戦後に白樺湖に移住した開拓団の1人だったが、山歩きをしている高校生を家に泊めたことをきっかけに、1951年に民宿を始める。

同じ時期に、登山客向けの民宿や飲食店が複数開業し、農村だった白樺湖の観光地化が進んだという。三人氏は1960年代にスキー場、遊園地を次々に開設し、池の平ホテルを核とした複合リゾートを展開するようになる。その後団体旅行が流行すると、周辺にはホテルが相次ぎ建設された。

高度経済成長期からバブル期にかけて急速に発展した白樺湖は、昭和の時代にオーバーツーリズムによる観光公害を経験している。1970年代後半に旅館や観光施設からの排水が白樺湖を汚染し、アオコが発生したのだ。

地元は下水処理場を建設するなど長期にわたって対策に追われた。その後、1981年に茅野市街と美ヶ原高原をつなぐ観光山岳道路「ビーナスライン」が全線開通したことで白樺湖の観光産業は絶頂期を迎えた。大型バスで観光客が押し寄せるようになり、宿泊施設は団体客を受け入れるべく設備投資を加速していった。

ホテルや民宿の営業停止・破産が相次ぐ

しかしバブルが崩壊し、団体旅行から個人旅行への転換が起きると、2000年ごろからホテルや民宿が相次ぎ営業停止・破産に追い込まれた。

白樺湖 廃墟
ホテル山善の跡地の隣にも営業を停止したホテルがそのままになっている(写真:筆者撮影)

「小学校の同級生にも旅館やホテルの経営者の子どもが何人かいて、白樺湖一帯はいつも人でにぎわっていた。ただ、高度成長の勢いに乗ってチャンスを早くつかんだ分、谷も深かった」

そう語る池の平ホテル&リゾーツの矢島社長は、中学で地元を離れ、東京で進学・就職したため白樺湖観光の衰退を直接は体験していない。学生時代に家業を継ぐ決意を固め、25歳で白樺湖に戻り、高齢の祖父から段階的に事業を引き継いだ。社長に就任したのは2011年、27歳のときだ。

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