「この本は私が出す」60代の彼女に起業させた絵本 エストニア人画家との出会いが運命を変えた

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学生時代はイギリスに留学。帰国後、通訳として写真家の海外取材に同行した。その際、自分でもカメラを持ち、現地の子どもたちを撮影してみた。そこで写真に目覚め、フォトジャーナリストに憧れて写真学校に入学。卒業と同時にフリーランスに。ほどなくして偕成社の写真絵本シリーズ『世界の子どもたち』(1986年)から声をかけられて参加し、初めての自著となる、同シリーズのインドネシア編とトルコ編を出版した。

その同時期に結婚し、第1子、第2子を出産。子どもが生まれてからは国内の仕事を中心に活動しつつ、新聞記者である夫の転勤に帯同し、ワシントンDC、ハノイ、ニューヨークなどを転々とした。激務な上に日本時間に合わせて動く夫をサポートしながら、ほぼワンオペで子育て。それでもフリーランスの仕事は辞めず、細々と継続させた。

「その頃は、仕事をピタッと辞めてしまうと、その後なかなか復帰しにくい状況でした。だから、海外にいてもリサーチやちょっとした取材をしてファクスで送るといった仕事を請け負い、とにかく途切れないように細く長く必死でつなげていたんです」

ニューヨークの書店で見つけて東京に持ち帰った何冊かの絵本のうち、まだ日本語訳が出版されていないものを携え、「この本を出版しないか」と出版社に持ち込んだ。それが絵本『Zero ゼロ』と『One ワン』。この出版の成功で「自分が好きな絵本を日本に紹介することには大きな意味がある」と手応えを得た。

たまたま見た絵に一目惚れしてすぐに連絡

その後もさまざまな本の企画、出版を手がけるなかで、2018年、たまたま見た北欧アート展でエストニアの絵本画家、レジーナ・ルック-トゥーンペレの絵と出会う。ひと目見て心惹かれ、その場を去り難い思いに駆られた。迷わずギャラリーの担当者に彼女の連絡先を聞き、メールでの交流がスタート。

「レジーナの絵本を日本で出版したい」という思いを日に日に強め、さまざまな出版社に彼女の作品を提案して回るようになった。だが、なかなか実現は叶わなかった。エストニアをはじめヨーロッパの絵本は文章が比較的多い。絵柄もどことなく神秘的なタッチで、日本で好まれるタッチとは少し違った。

戸塚貴子さん
レジーナさんが作画を手がけた絵本をめくる戸塚さん(撮影:ヒダキトモコ)

ある1冊は20社もの出版社を回ったが成果を挙げられないまま、ドイツのエージェントに先に版権を押さえられてしまった。落胆する戸塚さんに、レジーナが「せっかくここまでがんばってくれたのだから」と新しい作品を提案。それが冒頭で紹介した絵本『だれのせい?』だ。

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