横浜駅焼失や列車転落「関東大震災」神奈川の惨状 甚大な鉄道被害、土石流で海中へ崩落した駅も

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熱海線では、ほかにも根府川駅付近のトンネル出口付近で土砂崩落による死傷事故が起きたほか、土石流により壊滅的な被害を受けた白糸川橋梁をはじめ、駅・橋梁・トンネル・築堤等の施設に「その被害の劇甚なること各線中第一位」(『鉄道震害調査書』)という被害が発生し、復旧までに約1年半がかかった。

また、当時は熱海線とは別に、真鶴―熱海間に軽便鉄道(熱海軌道)が走っていたが、この線の被害も激甚だった。熱海軌道は、1895年に開業した小田原(早川口)―門川(湯河原)―伊豆山―熱海間を結ぶ豆相人車鉄道(車夫がレール上の車両を押す)に端を発するもので、1907年、運行の効率化のため人力から蒸気に動力変更。このときの軌間変更等の工事の様子は、芥川龍之介の短編『トロッコ』に描かれている。その後、熱海線の真鶴延伸にともない、熱海軌道は路線が並行する小田原―真鶴間を廃止。震災時は残る真鶴―熱海間のみを運行していた。

豆相人車鉄道
熱海軌道の前身となった豆相人車鉄道(提供:今井写真館)

『鉄道震害調査書』の熱海軌道の項を読むと、その被害のすさまじさが伝わってくる。

「中央区間たる門川、伊豆山間 3 1/3哩(3と3分の1マイル)の如きは山崩れのため隣接せる県道と共に海中に滑落し、その前後3哩2分の区間亦線路建造物の大半を破壊せられたり」

復旧せず廃止された熱海軌道

被災場所が、どのような地形なのか現地へ確認しに行くと、道路(現在は国道)の海側は急峻な崖になっており、崖下の海沿いを熱海ビーチライン(有料道路)が走っている。

1898年に発行された地形図を見ると、軌道は当時の県道よりも海側に描かれているから、崖の中腹を巻くようにして軌道が走っていたものと思われる。念のため、熱海軌道廃止後の1932年に発行された「各字明細 最近熱海町全図」(熱海市生涯学習課歴史資料管理室所蔵)も確認すると、軌道跡と思われる道が描かれており、前掲の地形図に描かれている軌道経路と一致する。

1898年地形図
1898年の地形図。門川(画像右下)から大名崎を経由し稲村、伊豆山方面(左上)へ向かう軌道が描かれている(出典:1898年陸地測量部地形図)
1932年発行の熱海町全図
1932年発行の「各字明細最近熱海町全図」部分(画像:熱海市生涯学習課歴史資料管理室所蔵の図を複写し「軽便道」を着色)

また、地元のみかん農家の人に尋ねると、その道が描かれている辺りを昔は「軽便道」と呼んでいたという。やはり海沿いの崖に張り付くようにして軌道が通っていたのである(現在、「軽便道」は消滅している)。

建設費節減のためトンネルの開削を避け、海沿いに敷設された軌道は山崩れと、本震の5分後に押し寄せたという津波によって、ひとたまりもなく海へ飲み込まれたのであろう。

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