400超の有人島に「上陸」した彼の偏愛ストーリー 「現実逃避だった」島めぐりが仕事の潤滑油に

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大学卒業後、メーカー系IT会社のシステムエンジニアとして就職した山岡さん。時は90年、インターネット黎明期で、ちょうどWindows3.0が発売された年でもある。

2000年以前のIT業界を知っている方であれば、当時の過酷な仕事環境は想像に難くないだろう。山岡さんもまた、例外ではなかった。

「仕事環境は過酷でしたよ。労働時間は1カ月に200時間以上は当たり前でした。当時エンジニア職は『3K(キツイ、汚い、危険)』なんて言われていましたから」

過酷な日々のなか、唯一安らげる場所が、「島」だった。1993年、旅行で沖縄県座間味島を訪れたことをきっかけに、山岡さんは島の魅力にはまっていくことになる。

(写真:山岡成俊(ご本人より提供))

「座間味島ではダイビングをしました。座間味の水の透明度とサンゴ礁の美しさにすっかり魅了されてしまって。水中には、陸では見られない世界があると気付いたんです」

座間味島の海は世界有数の透明度と言われるほど美しい。海中の楽園は、都会で忙しい日々を送る山岡さんを優しく包み込み、別世界へ連れて行ってくれた。

そして山岡さんは、その美しい景色を記憶に残すため、水中写真を撮り始めたという。

「今思えば、忙しい日々からの現実逃避だったのかもしれません。海の中に居ると安らぎを感じましたし、また仕事に戻って頑張ろうという活力が湧きました」

やがて関心は「島」そのものの面白さへ

沖縄の離島を訪れて美しい水中写真を撮ることに夢中になった山岡さんだったが、やがて関心は、海中から島そのものへ広がっていった。

「『島』そのものの面白さに気付いたのは、八重山諸島でした。海に入らなくても、島は面白い。島ってね、日本社会の縮図なんですよ。学校があって、商店があって、病院があって、ちゃんとコミュニティーが存在している。なんだか昔の日本に入り込んだみたいにな、不思議な気持ちになります」

瀬戸内海に浮かぶ島、能美島で生まれ育った山岡さん。故郷で暮らした思い出と島の風景がリンクし、離島の魅力に引き込まれるまでに時間はかからなかった。

そして、初めて座間味島を訪れてから約15年、沖縄離島を写真に収め続け、気付けば沖縄の有人島約50島(当時)、全ての島に上陸を果たしていた。

エンジニアとしての忙しい日々と離島の楽園とを行き来することで、山岡さんは心と身体のバランスが整っていったという。どちらが欠けてもバランスは崩れてしまっていただろう。

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