定年後「幸せを感じる人」が60過ぎてやらないこと 和田秀樹さんが自身の60歳からの人生を考える

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ところが最近、60歳を過ぎてから出席した同窓会では、東大の医学部を卒業し、競争社会のなかにあって勝ち組と呼ばれていた人たちが、定年退職後の就職先に焦っているという状況になっていました。

37歳で病院の常勤の医師を辞めたわたしは、その後、医師をはじめとして執筆活動などさまざまな仕事をフリーランスという立場で続けています。このようなことをやっていると、言わずもがなではありますが、フリーランスに定年という節目はなく、5年後10年後も同じような暮らしをしているのだろうなと容易に想像がつきます。

定年がないがゆえに、出たとこ勝負なりにある程度の予測ができるわたしに対して、定年までの地図は誰もがうらやむような足跡を残してきた彼らが、目の前の地図も見えずに困っているというのは、どうにも皮肉な話です。

地位や名誉より、やりがい

東大の医学部を出てもエリートコースに進むことができず、事情があって開業するなど自力で生きてきた人たちは、いまは人もうらやむくらいのはやり方で、リッチになっている人が多いのです。本来このような負け組だと思われていた人たちが、この年になって逆に勝ち組っぽくなっていますし、プータローみたいに思われていた人間がけっこうしぶとく生き延びているのです。

とくに、地位や肩書にしがみついてきた人ほど、幸せになっていないように感じています。それは、年を重ねれば重ねるほど、顕著になってくるようです。

大企業で高い役職に就いたり、大学で教授となったり、エリートコースに乗れたりした人ほど地位や肩書がなくなってしまう将来に不安を感じ、老年期をどのように過ごしたらいいものかと心配をするようになっているのです。

わたしは同じ場所にずっと通い続けることが苦痛で、定年退職のはるか前、37歳のときに常勤の医師を辞めたとお話ししましたが、いまは日本大学に週3回以上という条件で、常務理事の仕事で通っています。大学へ行くとエレベーターを降りれば3人の秘書が出迎えてくれ、役員車の送迎つき(この待遇は辞退しました)というような、いきなり重役待遇になってしまったわけです。

これは2022年より日本大学の新理事長となった作家の林真理子さんがわたしを推薦したからなので、わたしが何かすごい業績を上げたからそうなったわけではありません。

一般的には、この年になって役員待遇で迎えられたら優越感にひたれるのかもしれませんが、わたしはそうではありません。地位や名誉というよりは、林さんに声をかけてもらえたことのほうがうれしくて、また、大学の改革ができるという仕事に幸せややりがいを感じているのです。

仕事一筋で頑張ってきた人は、出世して地位や名誉を手に入れることに幸せを感じて、それがなくなってしまうことのほうが苦痛になるのかもしれません。

ですが、わたしが何度も繰り返しお伝えしているのは、年をとってからはそういったものをすべて手放して、「自分が幸せを感じるかどうか」だけを考えるべきだということです。どんなことに幸せを見つけ出すことができるのか……、そのいちばん簡単にできる方法としては、自分の好きなものを見つけ出すことです。

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