「平凡な日常の中でも意義あることを成し遂げられる」ことが、映画の題材になるのだろうかと思うかもしれません。
そこで、次のエピソードを紹介したいと思います。
文芸評論家の加藤典洋の著書に、『どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ。幕末・戦後・現在』というタイトルの本があります。
その中で加藤は、宮崎駿と養老孟司の対談本『虫眼とアニ眼』に出てくる、映画『千と千尋の神隠し』についての次のようなエピソードを取り上げています。
「宮崎駿さんは、養老孟司さんとの対談で、なぜ『千と千尋の神隠し』(2001年、以下、『千と千尋』)を作ったか、と尋ねられ、こう答えています(『虫眼とアニ眼』2002年〔新潮文庫〕)。
あるとき、たまたま10歳くらいの子どもたちを見ていた。そしたら、自分は彼らに対し、いま何が語れるだろうか、という考えが浮かんだ。最後には正義が勝つ、なんて物語を語ろうという気にはさらさらなれなかった。そうではなく、「とにかくどんなことが起こっても、これだけはぼくは本当だと思う、ということ」、それを語ってみたい、と思った。そして、この最初のモチーフを手放さないでいたら、『千と千尋』ができた、というのです」
宮崎駿が伝えたかった「真実」
宮崎が「どんなことが起こっても、これだけは本当だと思うこと」とは何だったのでしょうか。宮崎自身はここでそれを語っていませんが、加藤は次のように解釈しています。
「世界には不正がある。しかしいつどんな場合でもそれを覆し、是正できるとは限らない。とはいえ、だからといって何もできないわけではないし、何をしても無駄だということでもない(……)。できないことがある。しかし、その限られた条件のなかでも、人は成長できる。また、「正しい」ことを、つくり出すことができる」
これが、『千と千尋の神隠し』を通して宮崎が伝えたかったモチーフの中身だというのです。
この問題の議論をさらに深めていくために、次回は、ナチスドイツ時代のユダヤ人強制収容所を生き抜いた精神科医ヴィクトール・フランクルの世界的ベストセラー『夜と霧』を題材として取り上げてみたいと思います。
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