舞浜駅「ディズニー開園」より開業5年遅れた背景 漁業の街が埋め立て地、そして「夢の国」へ発展

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漁師たちに再就職先をあてがうなどの配慮をした浦安町(現・浦安市)だが、実はそれ以前からジリ貧になっている漁業に見切りをつけ、新しい産業による町の活性化を模索していた。その一環として、議員と有識者による浦安町総合開発審議会が発足している。

同審議会は、浦安沖の埋め立て地に学園都市とレジャーランドを建設することを決定。学園都市は、日本大学系列の工業高校・工業短期大学・大学、自動車学校が計画として盛り込まれた。これらの学校は実現しなかったが、最終的に東海大学付属浦安高等学校が開校している。

もう一方のレジャーランド計画は後にTDLとして結実したが、京成とともに誘致に取り組んでいた三井不動産も、当時はテーマパークという新しいレジャー施設を十分に理解していなかった。それはOLCが作成し、浦安町に提出した計画図からも読み取れる。『広報うらやす』1973年8月1日号に掲載された計画図には、園内にゴルフコースやスイミングガーデンといった施設が並んでいる。これはスポーツランドといった趣が強い。

最寄り路線は京成でなく京葉線に

同年、京葉工業地域の物流機能を担う貨物専用線が開業。同線は現在の京葉線にあたるが、本来なら、OLCの親会社にあたる京成がTDLへのアクセス路線を整備するのが筋だろう。京成はもともと、現在の京葉線の原型といえる東京都心―千葉間の路線を建設する青写真を描いていた。

その後、京成は一から新線を建設するのではなく、営団地下鉄東西線の東陽町駅から路線を分岐させて東京湾に沿うルートを計画。東陽町駅は1967年に開業したが、これに乗り入れるなら京成は都心部までの線路を建設する必要がなくなり、工費は安く済む。また、東西線は大手町駅などの東京都心部と直結しているだけではなく、高度経済成長期に人口を著しく増加させた東京西郊のベッドタウンともつながっており、その利用客を取り込むこともできる。こうした目論みを立てた京成だが、新線計画は日の目を見なかった。

一方、もともと貨物専用線として計画されていた京葉線は1986年、西船橋駅―千葉港(現・千葉みなと)駅間で旅客運転を開始。1988年には新木場駅まで路線を延伸し、同時に舞浜駅が開業した。

京葉線舞浜駅
京葉線舞浜駅は東京ディズニーランドの開園より5年後の1988年に開業した(筆者撮影)

『広報うらやす』は、開業数年前から京葉線を頻繁に取り上げているが、紙面では新浦安駅の計画ばかりが喧伝され、TDLの玄関となる舞浜駅への言及は少ない。その理由は、新浦安駅周辺は市が主体的にまちづくりを進められる一方で、舞浜駅周辺はOLCが所有する土地が多くを占め、行政の関与できる部分が少なかったからだ。

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