だが、急行列車として運転されたのは途中の北見までで、北見から網走までは同じ編成のままC58形蒸気機関車が牽引する普通列車に「格下げ」されて走った。列車番号も「大雪5号」の517列車から普通1527列車に変更され、北見駅では機関車付け替え作業などで30分以上も停車してから網走に向かった。朝の通勤、通学列車として運転されたのである。
編成は急行列車のままでSLが牽引したことから、当時のSLファンには折り返しの上り1528列車と共に「大雪くずれ」の愛称で親しまれ、注目の的となった。
「寅さん」映画の舞台にも
そのSLファンのひとり、 「男はつらいよ」シリーズで知られる山田洋次監督は同シリーズの第11作「寅次郎忘れな草」でこの列車を舞台のひとつにした。
寅さんはマドンナのリリーとこの車中 (自由席)で初めて出合う。そして寅さんを捜して北海道にやって来た妹さくらはB寝台で目覚め、呼人の網走湖畔を走るシーンが撮影されている。この映画のロケは1975年の夏に行われたが、同じ年の6月に私は「大雪くずれ」を緋牛内で撮影している。ひょっとしたら寅さんとリリーか、さくらさんが乗っていたかもしれない……。
「大雪」の愛称は1951年に函館―旭川―網走間を結ぶ急行に命名され、その後区間運転の本数を増やしたが「大雪5号」は1975年5月末で無煙化され、DLの牽引に代わった。客車列車は1982年に14系化され、さらに翌年の1983年には寝台車も14系寝台車に代わり快適な道東の旅が楽しめるようになった。だが、乗客離れやJR化後の合理化などで夜行列車は次々に廃止され、1992年3月をもって「大雪」も廃止された。
ありし日の蒸気機関車と急行「ニセコ」「大雪」
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小樽築港機関区で出庫前のC62形3号機。 SLの
王者の貫禄があった=1973年(撮影:南正時)
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「ニセコ」がDD51形 牽引に代わった後もC62形は
しばらくの間普通列車を牽引した(撮影:南正時)
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「ニセコ」牽引に活躍したC62形の中でも羨望の的は
「つばめ」 マークのあった2号機だ(撮影:南正時)
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雪景色の倶知安駅を発車するC62形重連牽引の「ニセコ」
(撮影:南正時)
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冬の黒松内―蕨岱間を走るDD51形重連牽引の
上り函館行き「ニセコ」(撮影:南正時)
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長万部駅に停車中の下り 「ニセコ」。山越えに向け
補機を連結し重連となる(撮影:南正時)
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今はなき蕨岱駅付近を走る下り札幌行き 「ニセコ」。
周囲は原野が広がる(撮影:南正時)
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黒松内から力行運転する上り「ニセコ」。
DD51形 重連の迫力満点だった(撮影:南正時)
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旧型客車によく似合っていた「ニセコ」 の
サボはファンに人気だった(撮影:南正時)
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倶知安を発車すると行く手には「蝦夷富士」とも
呼ばれる羊蹄山が見えてきた(撮影:南正時)
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倶知安駅では乗務員交代を行った。 SL時代は
給水給炭作業を行った(撮影:南正時)
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客車の最前部から見たDD51形のラジエーターファン
(撮影:南正時)
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当時は車内販売があり沿線の駅弁も買えた。
長万部の「かにめし」(撮影:南正時)
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札幌駅に停車中のキハ56系急行「大雪」(右)。
昼行列車は気動車によって運転された(撮影:南正時)
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早朝の遠軽機関区。朝焼けに車体を輝かせて
D51形が待機していた(撮影:南正時)
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石北本線の難所、常紋越えに挑むD51形。
今も「撮り鉄」が多い(撮影:南正時)
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みなみ・まさとき / Masatoki Minami
1946年福井県生まれ。アニメーターの大塚康生氏の影響を受けて、蒸気機関車の撮影に魅了され、鉄道を撮り続ける。71年に独立。新聞や鉄道・旅行雑誌にて撮影・執筆を行う。
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