近代日本支えた「鉄道貨物の拠点」隅田川と南千住 レンガや織物工場で発展、今も物流で存在感

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その深谷のレンガに注目が集まる前から、レンガ建築を推進したのが政府首脳として暗躍した井上馨だった。

それまで、日本の建物は木造建築が一般的だった。それでは耐震性・耐火性に劣る。近代国家に必要不可欠な庁舎は、火事・地震に強くなくてはならない。1872年に発生した銀座大火は江戸時代から繁華街だった銀座一帯を焼失させ、井上はそれを痛感していた。その後銀座にはレンガ造の建物が増加したが、供給量が確保できなければさらに増やすことはできない。当時、まだ日本鉄道は開業すらしていないので、深谷から鉄道でレンガを輸送することはできなかった。

そこで政府は、小菅県(現在の葛飾区・足立区・江戸川区の大部分と墨田区・荒川区の一部、千葉県・埼玉県の一部)の県庁跡地に開設されていた小菅集治監でレンガ製造を開始。小菅集治監がレンガ製造の地に選ばれたのは、囚人という労働力を確保できたことや、荒川沿いに所在していたので舟運を活用できるといった理由があった。

大火後にレンガ造建築によって再建された街は、銀座煉瓦街と呼ばれた。華やかな雰囲気を放つ銀座煉瓦街は、たちまち日本全国の流行をリードする繁華街になっていった。銀座煉瓦街に倣うように、各地にもレンガ造の建築物がお目見えする。需要の急増に伴って、レンガ製造も活況を呈した。こうして舟運を生かせる荒川(現・隅田川)沿いには、製造工場が立ち並ぶようになっていく。

隅田川駅 EH500形牽引の貨物列車
隅田川駅と貨物列車=2010年(撮影:梅谷秀司)

「ラシャ」やガス工場も立地

明治新政府の実力者だった大久保利通も、別の観点からこの付近に着目した一人だった。大久保は岩倉使節団でヨーロッパを外遊したが、フランス滞在時に大倉財閥の創始者でもある大倉喜八郎と会談。このときに、ラシャ製造が富国強兵と殖産興業の両面から重要になると意見の一致を見た。

ラシャとは厚手の紡毛糸で織られた織物を指し、軍服や鉄道員の制服に欠かせない素材だったが、それまでは海外からの輸入に頼り、国産化できていなかった。大久保は帰国後すぐに内務省を立ち上げ、国産化に取り掛かる。こうして、1879年に千住製絨(せいじゅう)所が操業を開始する。ラシャ同様に現代では製絨所という言葉も馴染みは薄いが、これは毛織物工場ということになる。

さらに、1893年には東京瓦斯(現・東京ガス)が千住工場を操業。東京瓦斯は1874年にガス事業を開始しているが、歳月の経過とともに需要は増大。新たな供給設備が必要になり、それを南千住に製造所を求めた。日本鉄道の開業前から、南千住一帯にはレンガやラシャ、ガス製造といった工場が形成されていった。

千住製絨所のレンガ塀
千住製絨所のレンガ塀は現存しており、南千住が工業先進地だったことを伝える(筆者撮影)
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