特急つばさや山形新幹線「板谷峠越え」列車の記憶 今も昔も難所、日本の鉄道「三大勾配区間」の1つ

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その後、1968年には電化方式が直流から東北本線などと同じ交流に改められた。この時投入されたのが、勾配用の交流電気機関車ED78形とEF71形だ。この2機種は板谷峠の勾配区間でいかんなく威力を発揮し、寝台特急「あけぼの」や急行「津軽」を牽引したほか、気動車急行「出羽」や特急「つばさ」では補機としても活躍した。

【2023年4月13日23時15分追記】初出時、列車名の表記に誤りがあったため、修正しました。

EF71形とレッドトレイン50系
EF71形電気機関車と50系客車「レッドトレイン」の普通列車=1988年(撮影:南正時)

1970年には、板谷峠の自力登坂を目的として「つばさ」に大出力エンジンを搭載したキハ181系が投入され、補機なしの単独運転となった。しかし思うような性能が発揮できず、1973年には再び電気機関車による補機の力を借りての運転となった。

特急つばさ キハ181系
キハ181系時代の特急「つばさ」=1973年(撮影:南正時)

筆者は1970年代初頭、米坂線の蒸気機関車を撮影に行く際は往路にキハ58系の夜行急行「出羽」、帰路にはキハ181系特急「つばさ」をよく利用した。この時代、「つばさ」の発着する米沢駅には9600形蒸気機関車が乗り入れており、新鋭のキハ181系「つばさ」との出会いは、今となっては懐かしい思い出のひとつである。

特急「つばさ」とミニ新幹線計画

1975年10月には奥羽本線の全線電化が完成し、翌11月から「つばさ」は電車化された。当初は485系200番台、その後耐寒耐雪構造を強化した1000番台が投入された。編成は12両で、グリーン車と食堂車を連結し、当時の485系特急としては最も豪華な編成だった。1978年10月のダイヤ改正では、上野―山形間の特急は「やまばと」「つばさ」3往復ずつの計6往復体制となり、自由席を設け「エル特急」に仲間入りした。この際にヘッドマークもイラスト入りとなった。在来線特急「つばさ」の華やかな時代だった。

485系特急「つばさ」
485系の特急「つばさ」フル編成。郡山駅にて(撮影:南正時)

だが、1982年の東北・上越新幹線大宮開業により並行する在来線特急が再編され、「つばさ」は上野発着列車が減り、福島―山形間の列車が登場。さらに1985年3月の東北・上越新幹線上野駅乗り入れによるダイヤ改正では福島発着列車が増発された一方、上野―山形間は1往復のみとなり、新幹線連絡特急へとその役割を変えた。

同じころ、国鉄では1983年に「ミニ新幹線」の検討が始まった。これは在来線の軌間を1067mmの狭軌から新幹線と同じ標準軌の1435mmに改軌し、在来線サイズの車体で新幹線と同等の走行性能を持つ車両を走らせ、新幹線と直通運転するというものだ。

ミニ新幹線は1987年に奥羽本線の福島―山形間がモデル線区に指定され、1988年、同区間で「山形新幹線」の工事が始まった。1992年に福島―山形間が山形新幹線として開業し、1999年には新庄まで延伸している。開業と同時に特急「つばさ」の愛称は山形新幹線に引き継がれた。

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