2つの「東京オリ・パラ」がもたらした「ストーリー」 「近未来日本」を見通すヒストリーという武器

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吉田は時間を必要としていた。平和憲法の草稿を書いたアメリカから求められても当面の再軍備に否定的であった。第1に戦災復旧が最優先であった。安全はひとまずアメリカに委ね、自身は経済再建に邁進する必要があった。第2に日本軍の再建に時間をかけたかった。特に陸軍であるが、イギリス型の民主主義と調和的な軍隊を建設するには現在の防衛大学校に連なる新たな伝統を必要とした。そして第3に、国内だけでなく、戦時中に日本の侵略を受けた国々には日本の軍国主義復活への危惧があり、再軍備を急ぐことは政治的賢明さを欠く行為であった。

東京オリンピック・パラリンピック1964の後で

研究は日進月歩である。といえば聞こえが良いが、一歩一歩しか進まないということでもある。ヒストリーはまず史料が必要である。次にそれを分析した研究が新しい像を提示する。でもそれで終わりではなく、研究者による相互検証が必要である。

私が初めて日本政治外交史を体系的に学んだ1990年代初めから約30年が経った。外交史料が原則30年で公開されるように、歴史を検証するうえで30年は一つの目安となる時間である。現在の眼で「戦後」を振り返ったときに、それは吉田の焼け跡の選択が70年以上続いているのだろうか。

先に脇道の選択がメインストリームとなったと述べたが、次第に支持者は増えた。それは神の見えざる手に導かれたものだろうか。より端的に言えば、戦勝国の管理体制によって他の選択肢がなかったのだろうか。当たり前の選択の積み重ねでしかないという意見もあるが、帝国日本の1930年代の変化を思えば説得的ではない。それは明らかに国益を損なう自己解体の変化であったからである。当たり前の継続は当たり前ではない。

近年の研究動向から注目したいのは高度経済成長後の選択である。ここ10年ほど戦後の首相の関係資料が相次いで公開され、検討が進んでいる。なかでも佐藤栄作は面白い(論拠出典等は、村井良太『佐藤栄作―戦後日本の政治指導者』中公新書、2019年を参照)。

高度経済成長は日本の状況を変えた。そこで考えるべきは東京オリンピック(・パラリンピック)1964の後の変化である。吉田政権は確かにアメリカから再軍備を迫られたが、当時の日本が再軍備をしても冷戦の東西軍事バランスを大きく変えるようなものではなく、言わば姿勢の問題であった。

ところが1960年代に高度経済成長を果たした日本が多元的な1970年代をどう生きるかは世界の構造に関わる。1968年に日本はアメリカに次ぐ西側第2位の経済力を持ち、次に核武装する国の有力候補であった。現在の日本の基本設計が行われたのは占領時ではなく、高度経済成長後、吉田ではなく佐藤であると言うべきであろう。

佐藤の選択とは何か。経済大国となっても軍事大国にならないという行き方である。それは軍事以外での大国がありえる世界という構想でもあった。これを「経済的大国」論と呼んでおきたい。

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