ライフ創業・清水信次が壮絶人生96年で得た悟り 動乱を生き抜いて流通界に多大な影響を残した

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退院後、清水氏は悟った。

「わが身を魚のようにさばいてもらって確信しました。人間なんてこんなものなんだ」

清水氏が「足るを知る」という人生哲学、経営の精神を熟成していくうえで、流通業界の人にとどまらず、政財界、言論界など、さまざまな人々と交流して学んだ叡智が役立った。

清水氏はそれらの叡智を洞察、統合し、「マクロの視点」から考える人だった。

清水氏は、日本スーパーマーケット協会および国民生活産業・消費者団体連合会(生団連)創立者で、名誉会長も務めた。スーパー業界全体の問題解決、改善に努めた。中曽根政権時代の1987年、現在の消費税につながる売上税導入に反対し、自民党や大蔵省を相手に徹底抗戦し、導入を断念させた。2005年には、容器包装リサイクル法の見直しを求めて国を相手取り提訴した。

これら一連の活動により、まだ、中堅スーパーの一社長だった清水氏は、一躍時の人として注目されるようになった。その後、一戦を交えた政治家や官僚たちとも積極的に交流した。

「士農工商の身分制度が今なお続いているのかと思いたくなる」と言わしめるほど、小売業が政治に影響力を持たないという現実が清水氏の背中を押した。評論家で終わろうとしない行動の人である清水氏は、国政選挙に2度挑んだ。いずれも落選したが、政治への強い関心を終生持ち続けた。

面識もなかった首相と話し込んだ

清水氏が人生で最初に出会った大物政治家は、鳩山一郎・元首相である。大阪から上京するため列車に乗ったところ、鳩山首相が同乗していることを聞きつけるや否や、その車両に向かい、まったく面識もなかった鳩山首相に名刺を渡し話しかけた。

「はじめまして。私は大阪で商売をしている清水信次と申します。これからは東京の時代ですので、新天地で頑張ろうと思っております」

時の総理大臣と見ず知らずの若い経営者。名刺を渡し、あいさつだけで終わりそうなものだが、そこが清水氏は違った。鳩山首相と長い時間、話し込んでしまったというのだ。このエピソードは、人の懐に入る行動力、親近感を感じさせる人柄と話法が奏功した事例と言えよう。

清水氏は偉い人とばかり会っていたわけではない。焼け跡となった大阪・梅田の闇市で露天商を営んでいた19歳の頃、清水氏が感動したのは、庶民の応援である。伊勢湾で買い付けた魚をリュックにぎゅうぎゅう詰めにして梅田に戻ってきたとき、闇市を取り締まるため警察官が乗り込み、清水氏の腕をつかんだ。そのときだ。買い出しに来ていた「大阪のおっちゃん」「大阪のおばちゃん」たちが声を上げ、警察に詰め寄った。

「お国のために戦争でえらい(大変な)目にあい、復員してきたばかりの、こんな若い兄ちゃんに何をするんや」

警察官があっけにとられているうちに、おばちゃんの1人が清水氏の耳元でささやいた。

「兄ちゃん、今のうちに逃げや」

浪花の人情と本音を貫く大阪人の気質が清水氏を救った。

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