筋肉俳優シュワルツェネッガーが頭脳派だった訳 ボディビルから不動産投資まで「俺の生存戦略」

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「『ふぅ……。話がつきましたよ。3800ドルまで下げることができました。これで進めてもいいですか?』」
「相手はすっかり僕に感謝して『どうもありがとう。あんたはものすごくいい奴だな』と感謝の言葉を並べ立てるんだ。そこですかさず『代金の半分を今すぐいただけますか? そうしたらすぐにセメントにレンガ、その他必要なものすべて用意して、月曜日から仕事に取りかかりますから』と言うんだ」
「相手は大喜びで、すぐに言い値どおりに支払ってくれたよ。僕たちはすぐさま銀行へ行って、小切手を現金に換えた。確実に口座にお金を入れておきたかったんだ」
「銀行を出ると、セメントとか一輪車とか必要なもの全部用意して仕事に戻った。2年間そんな感じで働いて、うまいこともうけることができたんだよ」

スターを目指す独自の戦略

シュワルツェネッガーは言う。

「初めの頃は、映画の仕事で食べていこうとは思ってなかった。あえてそう決めたんだ」

それまで、彼がジムや俳優養成所で出会った人は、みんな金がなくひどく苦労しており、生活のために与えられた仕事は何でも受けるしかなかった。「絶対そんな風にはなりたくなかった」という彼は、考えた。

不動産の知識を身につけ、稼いだ金をコツコツ貯めて、それを元手にアパートに投資することも十分可能だ、と。

1970年代は、インフレがものすごく進んでいたから、不動産投資にはうってつけの時代だった。ある建物を50万ドルで購入すれば、年内には80万ドルにまで値を上げるだろう。頭金として10万ドル支払ったとしても、300%の利益を手にできるぞ……。頭の中で、こんな計算をしたんだよ。
僕はすぐに持っていた建物を売って、サンタモニカのメインストリートを下ったところにあるアパートや、オフィスビルを次々と購入していったんだ……。
それがだいぶ利益を生んで(まるで、魔法のような10年間だったね)。不動産投資で百万長者の仲間入りをしたっていうわけさ。『コナン・ザ・グレート』で本格的に俳優デビューする前のことさ。

そうして不動産投資の世界に参入して成功し、なんの保証もない役者としてのキャリアにつきまとうリスクを見事に相殺した彼は、大金を手にしたからこそ、端役にはそっぽを向き、スターを目指すことができたのである。

次ページ最大の弱点を最高の強みに変える
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