「マザウェイズ」絶好調に見えたのに破産した理由 女児服の人気ブランドはどこで目算が狂ったのか

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マザウェイズは1991年、前身のマザーケア・ジャパンとして設立された。大阪・ 船場にあった大手現金問屋の根来が、世界展開するベビー・子供服の英国マザーケア社と日本での販売ライセンス契約を締結して生まれた会社だ。初代は根来の社長だった父が兼務していたが、実質的な経営は次男の亮氏が受け持っていた。

やがてライセンス販売の制約条件に窮屈さを感じるようになると、亮氏は自社ブランドで勝負する戦略に転換し、韓国の縫製工場に生産を委託。2000年に商号をマザウェイズ・ジャパンに変え、亮氏が社長に就任した。

「女児服のユニクロ」

女児のベビー・子供服が8割を占め、「かわいらしさ」を強調した商品を展開。「商品の企画から製造まで、すべて自社で手がけることを強みにした。 40人の専属デザイナーを使い、最新のデザインと機能にこだわった」(松本社長)。ユニクロと同じSPAだ。

価格帯は3000円前後に設定。1000円前後である格安店と5000円以上の高級店との間をうまく突いた。「デザインと縫製の良さから、『ユニクロ』や海外ファストブランドにはないお買い得感があった」(40代母親ユーザー)の声が象徴するように、ファンを着実に増やしていった。

勢いづいた松本社長は「子供が身に着けるものすべてを売る」「マザウェイズに行けば何かある」というコンセプトを掲げ、カバンやアクセサリーなどの雑貨も加えることで、「1万円でフルコーディネートできる」という戦略を立てた。

2008年からは東京近郊への出店を強化。「イオンモール」や「ららぽーと」をはじめとするショッピングモール内に100坪規模の店を次々と出した。出店は多い年で18店に及んだ。元幹部社員によれば店舗開発費は1店当たり2000万~ 5000万円。「会社の売り上げが伸びて銀行の融資条件が良くなった」ことから、出店をさらに加速させた。「どこにでも素早く出店できるように候補先を常に5つ以上準備しておくことが慣例だった」(同)。

拡大戦略が進んだ理由は、2010年から韓国の生産拠点を中国に移したことにもある。 約40もの契約工場を確保したことで、4000アイテムを毎シーズン作れる生産体制を整えたのだ。

その際、商社との取引をやめ、仕入れにかかるコストを半分近くまで減らした。これにより3000円前後だった主力商品を1000円値下げした。店頭での中心価格を1990円と明示して、同じ価格帯で競合するユニクロのほか「ZARA」や「H&M」などの海外ブランドに対抗できる値頃感とデザイン性との両立を追求した。

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