台湾鉄道が「名物列車の置き換え」を急いだ事情 課題の「民営化」へ車種整理でシンプル化図る

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一方で復興号の登場後、西部幹線電化に伴って1978年に運行を開始した最速種別の自強号の増備も進んだ。1978年登場の初代自強号EMU100型電車に続いて1987年に運用を開始したのが、のちにEMU1200型となるEMU200型電車だ。3両1編成で融通が利く構造、行先表示器や自動ドアの装備など優等列車の近代化に貢献し、計33両が製造された。

引退のヘッドマークを付けたEMU1200型(写真:台湾鉄道提供)

その後、主力として大量増備された韓国製のE1000型の増加を受け、EMU200型は2003年から輸送力の増強と設備の近代化に着手。9両固定編成と3両の予備編成の組み合わせにリニューアルされ、EMU1200型となった。外観は独特な前面形状や台湾鉄道の略称である「TRA」の文字をダイナミックに配し、内装も多目的スペースや座席にチケットホルダーを設置するなどの工夫が施された。TEMU1000型(タロコ号)、TEMU2000型(プユマ号)型といった日本製の自強号がまだ配備されていなかった当時、この車両は「まるで日本の特急のよう」だと好評となった。

車種の多さが仇に

これらの車両導入により、1980年代には台鉄の近代化が一気に進んだ。だが、2000年代に入ると当時導入した車両の取り扱いに苦心することとなる。

復興号の客車は輸送力を考慮して客席スペースを広く取ったため、乗降ドアが各車両に1カ所のみ、加えて手動式であることからさらなる輸送量の増加に対応できないという問題が発生。ドア数の多い通勤型電車の導入に合わせ、区間車への格下げが進んだ。2010年には西部幹線の定期運用が消滅し、その後は多客期の増発列車や南廻線、東部幹線など需要が少ない線区で区間車としての運用に役割を変えていった。

一方、自強号はその車種の多さが問題の元凶となった。初代EMU100型から1989年導入のEMU300型までの車両は、それぞれイギリス、南アフリカ、イタリアと異なる国のメーカーが製造したことで、部品の確保に課題が生じた。EMU100型は2009年をもって運用から撤退し、EMU1200型も当初より問題があったモーターの騒音と出力不足による故障が連発、2016年からは南部で1往復のみの運行となった。

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