近鉄「名物広報マン」が転身、畑違いの第2の人生 「鉄道少年」から電車の運転士に、その先は?

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車掌のときと同じ西大寺列車区に配属された。運転士時代の最も印象的なエピソードは何か。特別な体験談を披露してもらうつもりで尋ねてみたら、しばらく考え込んだ福原から返ってきた答えは予想外のものだった。

福原は語る。「奈良県と大阪府の県境に生駒という駅がある。利用者は多く、毎朝8両編成の列車に積み残しが出るほどお客様が乗車する。ドアが閉まって電車のノッチ(アクセル)を入れると、”ミシッ”と重さが伝わってくる。超満員のお客様を乗せて生駒トンネルの中腹から、ブレーキをかけながらずっと下っていく。そのときにお客様の命を預かっていることを実感する」。

何があってもお客様を目的地まで安全に運ばなくてはいけないという緊張感。終点の難波駅に到着すると大勢の乗客が下車していく。乗客たちの背中を見ながら、「いってらっしゃい」と心の中でつぶやく。定刻どおり無事に難波に到着する。「今日もいつもの日常を維持できたと実感することが最も印象深い」と言う。当たり前を続けることが、実はいちばん難しい。

もう一つ、エピソードを披露してくれた。近鉄ではトラブルを事前に回避し安全運行のために全力を尽くす姿勢を「近鉄魂」と呼ぶ。保守作業員は台風が近づくとその数日前から線路を巡回して、水があふれそうな箇所はないか、土砂崩れが起きそうな場所はないかを調べて歩く。運転台から雨に濡れながら巡回する作業員の姿が見える。ホイッスルをピッと鳴らすと彼らも手を挙げて応えてくれる。「大丈夫だ。任せろ」。会話がなくても近鉄魂は伝わる。これも福原にとっての印象深いエピソードだ。

助役試験に一発合格

1986年、近鉄東大阪線(現・けいはんな線)が開業し、大阪市営地下鉄(現・大阪メトロ)中央線と直通運転が始まった。福原はその開業運転士という名誉ある任務に就いた。にもかかわらず、なぜか物足りない。ATCを備えた最新式の車両には高度な運転技術は必要とされない。「運転士冥利がないなあ」。

東大阪線でハンドルを握る福原氏(写真提供:福原稔浩)

心機一転、助役試験に挑戦。今度は猛勉強し一発で合格した。1991年、助役として大阪上本町駅に着任した。近鉄の本社がある駅だけに助役の中でも優秀な者が配属される。「なんで自分が?」と思ったが、周囲は驚かなかった。福原の仕事ぶりは周囲からも評価されていたのだ。ある日、母親が福原の仕事ぶりを見にやって来た。車掌、運転士時代にはこんなことはなかった。福原の目には母が涙ぐんでいるように見えた。「少しは親孝行できたかな」と思った。

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