あの「ちくわぶ」に彼女がどっぷりハマった理由 「おでんでしか食べない」衝撃受けた友人の言葉

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「赤羽わぶまつり」で「赤羽ドッグ」を販売する丸山さん。この日は老若男女のお客さんが訪れていた(筆者撮影)

丸山さんは猫雑貨店「元祖ねこ商まるやま商店」を営む傍ら、2011年9月から「ちくわぶ料理研究家」として活動。

「ちくわぶを食べてくれる人をもっと増やしたい」という思いで、メディア出演やイベントの開催、ちくわぶレシピの考案を行っている。この10年間で彼女が生み出したちくわぶレシピは、500以上にも及ぶ。

「モチモチした食感が好きな方には、ちくわぶの魅力がわかってもらえると思います。誰でも簡単においしく食べられる方法を伝えれば、ちくわぶはもっと人気になるんじゃないかな」

そう語る丸山さんの“ちくわぶ愛”は、どのように育まれたのだろうか?

1969年、丸山さんは東京都足立区新田で生まれた。当時の足立区新田は駄菓子屋やおでん屋台が何軒もあるような町で、彼女は幼いころから駄菓子やおでん、もんじゃ焼きを食べながら育った。

「小学2年生のときには、駄菓子やカップラーメンがある“田舎のよろず屋”みたいなお店を両親が始めたんです。そのお店で冬になると、おでんを出していて。おでん食べ放題、ちくわぶ食べ放題みたいな環境で育ちました」

彼女の母親は煮物や筑前煮、ひじきなどの煮込み料理に必ずちくわぶを入れていたという。幼いころから家の中でも外でもちくわぶを食べて育った丸山さんにとって、ちくわぶは食べるのが当たり前の食材になっていた。

「ちくわぶ料理研究家」誕生の経緯

そして時は流れ、2011年9月。ある日、丸山さんはカフェで友人たちと「おでんといえば、ちくわぶだよね」という話題で盛り上がっていた。しかしそのとき、友人の口から出た言葉に衝撃を受ける。

「友人たちが『ちくわぶって、おでんでしか食べないよね』と話し始めたんです。私がびっくりして、『え?ひじきの煮物や筑前煮に入れないの?』と聞いたら、みんなから『煮物にちくわぶは入れないでしょ』と言われてしまって」

さらにその後、彼女にとって驚愕の事実を知ることになる。

「友人の1人が『ちくわぶって東京近郊でしか食べられてないよね』と言ったんですよ。それがわたしには、あまりにも衝撃的で……。自分の中ではごはんやうどんと同じくらい全国区だと思っていたので」

あまりにもショックを受けた丸山さんは次の日、家で寝込んでしまう。しかし同時に、これまで感じたことのなかった“ちくわぶの面白味”に気づき始める。

「東京でしか食べられていなくて、しかもおでんの具材としか知られていない。そんな局地的な食材、多分ほかにないですよね。だから『ちくわぶでいろんなことやってみたら、面白いんじゃないかな』と思ったんです」

そして彼女は、ちくわぶを広めるために自らが広告塔になることを決意。2011年9月から「ちくわぶ料理研究家」を自称し、すぐに活動を開始した。

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