日本が国際的地位を格段に下げている痛切な事実 いつの頃からか日本人は「謙虚さ」を失っている

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1950年代、日本は、東洋の片隅にある島国でしかなかった。

工業化は進んだものの、世界水準には届かなかった。

日本の自動車の輸出が始まったのは1950年代末のことだ。当時の輸出台数は年に数百台。1960年には乗用車の輸出台数が年1万台を超えたが、当時の日本車の性能は不十分だった。

1960年代になって、日本は中進国の段階を脱し、先進国と呼んでよい状態になってきた。

1963年の年次経済報告(経済白書)は、「先進国への道」というタイトルだ。

そして、「むすび-日本経済の新しい姿勢」の中で、次のように述べている。

「先進国への接近に伴う新しい環境の下で、先進国らしい姿に整えることも当面の課題として登場してきている」

「政府の施策と相まって先進国への道程における国民各位の協力もまた大きな意義を持っている」

「先進国への道はけわしいのである」

「今後は先進国らしい姿に整えることにもこの活力を注ぐべきであろう」

何と言う謙虚さだろう! 「姿を整える」と2度も言っている。

「さあ、これから晴れの舞台に登場だ」という緊張と初々しさが伝わってくる。

晴れの舞台の最大のイベントが、オリンピックと並んで、世銀・IMF総会だった(1964年)。役所に入ったばかりの私は、手伝いに駆り出された。

東海道新幹線が世銀融資で作られたことのお礼もあり、出席者を案内して、試運転の新幹線で京都まで案内した。

日本にも、ようやく世界標準軌の鉄道が誕生したと、誇らしい気持ちだった。

日本製自動車が高速道路を走れるか?

しかし、多くの日本人は、先進国と称することに面はゆい思いを抱き、「本当に日本は先進国なのだろうか?」という疑いを心の片隅に抱いていた。

実際、日本が先進国だという思いは、外国に出ていけば無惨に打ち砕かれてしまう。

私は、1968年9月にアメリカに留学して1年間滞在した。

学生同士の雑談で、「日本でも自動車を作れる。その車は、高速道路を走ることができる」と話した時、「あの小さい車で!」と、ゲラゲラ笑われたことをよく覚えている。

確かに、日本製自動車は、いかにも小さかった(小ささのために、石油ショック後の世界で頭角を現すのだが)。

そして、空港で遠くに日本航空機の機影を認め、「日本の航空会社が、よくぞここまで旅客機を運航した」と涙がでた(1955年からは、国際線機長にも日本人が搭乗していた)。

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