故郷への思いと京都での出会いが、今のビジネスを作った | クリエイティブに生きるための条件 sponsored by 同志社大学

故郷への思いと京都での出会いが、今のビジネスを作った

故郷への思いと京都での出会いが、今のビジネスを作った

北林 功
(COS KYOTO代表取締役/コーディネーター)

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21世紀に入り、私たちが生きる世界はますます複雑になっているように見える。政治やビジネスだけではなく、様々な分野で地殻変動のように変化が起きている今、最も必要とされるのが“人物×人材力”だ。どんな困難に遭遇しようと、最後に頼れるのは自分しかいない。では、各界で活躍するプロフェッショナルたちはどのように自らを磨いてきたのか。第4回は、「COS KYOTO」代表の北林功さん。同志社大学大学院 ビジネス研究科(ビジネススクール)に学んだ北林さんは現在、日本全国に存在する文化的な“素材”や“技術”を発掘し、京都から日本中、そして世界に向けてデザインやライフスタイルを発信する事業に取り組み、注目を集めている。そんな北林さんが考える、「クリエイティブに生きるための条件」とは何か。


――まずはこれまでのキャリアを振り返っていただきます。大阪市立大学在学中からフィンランド、オーストラリアで国際活動に従事されるなど、早くから海外に関心を持っていたそうですね。

北林 小学生時代から、環境問題に対する関心が高かったほうだと思います。僕は生まれが奈良県で、田んぼに囲まれた自然豊かな地域で育ちました。家の目の前に小川が流れていたのですが、それがドブ川に変わり、自然が失われていく様子を肌で感じてきました。幼心に「これをどうにかしたい!」と思ったものの、中学・高校で理系が不得意だということに気づきまして(笑)、文系のキャリアでできることを考え、大学は法学部で政治行政を専攻しました。
 そこで、国の派遣事業として、環境行政で先進的な取り組みをしているフィンランドに行かせていただきました。政治家や環境NPOの方に会い、環境問題への取り組みを直接伺いました。また、現地では小学校の先生のお宅にホームステイさせてもらい、そこでの経験がいまにつながっていると感じています。

――ホームステイ先で、どんなことがあったのでしょうか?

北林 フィンランドは教育レベルも非常に高いことで知られているので、「教育で一番大切にしていることはなんですか?」と聞いてみました。すると、「フィンランドは総人口540万人程度の小さな国だから、海外に出て行かないと経済が成り立たない」という前提から世界に通用する人を育てることがポイントになり、そのためにもっとも重要なのが「フィンランド人としてのアイデンティティをきちんと教えること」なんだそうです。
 本当の国際人になるためには、自分がどんな文化のなかで育ち、どんな歴史のなかで生まれてきたのかを知らなければいけない。教科書で習う歴史だけでなく、地域の人々と触れ合うことでわかる、いわば土着的な文化こそが大切だと。その言葉が心に響きました。

――北林さんは大学卒業後、2002年に大阪ガスに就職しています。

北林 当時、汚職問題が相次いでいた公務員に失望したこともあり、ビジネスの世界で環境問題にアプローチしようと考え、エネルギー関連会社を選びました。これもいまになって考えると因果なもので、現在拠点にしている京都に配属され、5年間、京都で法人向けに省エネ設備などの提案営業をしていました。

――そして07年からは、グロービス社で人材育成のコンサルタントに。振り幅のあるキャリア選択にも見えますが、そのきっかけとは?

北林 大阪ガスで働くなかで、いくらエネルギー効率のいい設備を広げたとしても、電気をつけっぱなしにするなど、無駄遣いしては意味がないですし、最終的に重要なのは、人のマインドだと気付きました。
 そして、社会に出て、環境問題以外の多くの社会問題にも仕事を通じて触れることができました。その原因を考えると、究極的には「人」の問題に行き着くのではないか。人が変わらないと、世の中はよくならない。それなら、人材育成の方に進みたいと。また、グロービスはMBAも教えていますから、世の中がどうなっても生きていけるスキルを若い内に身に付けておきたい、という思いもありました。

――そして2010年、同志社大学大学院ビジネス研究科に進まれました。

北林 グロービスで担当した金融業界の当時の価値観に疑問を感じたのが、大きな理由でした。大阪ガス時代、京都の老舗のお客さまから「100年先を見て“いま何をすべきか”と考えなあかんで」と耳にタコができるくらい聞かされてきましたが、金融の世界は、自分たちの短期的な利益だけを追求する部分が大きい。これは違うのではないか、ファイナンスの理論に任せていたらいずれ大変なことになるのではないか、と考えていた矢先に、リーマン・ショックが起こったのです。
 そのなかで、今後は地域に根づいた文化がグローバルに価値を持つと考え、自分にとってビジネスの原点である京都で、新しい経営のあり方を考えたいと思いました。また、「伝統 文化 ビジネス」などのキーワードで検索すると、同志社で「伝統産業グローバル革新塾」を展開されている村山裕三先生の名前がたくさん出てくる。ほかのビジネススクールは考えられませんでした。

――大学院ではどんな活動をされたのでしょうか?

北林 主に取り組んだのは、「とにかく京都でいろんな人に会うこと」です。大阪ガス時代にお世話になった老舗企業の方々、ベンチャー企業の方々、またデザイナーや職人さんたち。職種問わず、本当に多くの方にお会いして、「どういう思いを持って働いているのか」ということを聞いて回ったのです。
 そこで見えてきたのが、COS KYOTOが大切にしている「伝統の姿勢」というものです。「伝統を受け継ぐ」というと、昔からある“型”を継承していく、というだけの意味にとらえられがちですが、京都には「いまの時代に、その伝統を背負った自分に何ができるか」と考えている方が多い。単純に古き良き文化があるということではなく、このチャレンジの姿勢こそが、京都の伝統だと思うんです。
 もちろん、「昔ながらのものを守り抜こう」「既存のネットワークを大切にしよう」という世界もありますが、新しいネットワークを作るのに積極的な人も多いんです。

――京都というと、ともすれば閉鎖的なイメージもありますが、実際はそうではないと。

北林 同志社で学んだことに「人間の距離がイノベーションを生む」ということがあるのですが、例えば東京に比べて、職種の垣根を越えた交流も多いと思います。みんな生粋の京都人みたいな顔をして過ごしていますが、意外に外から来た人が多い(笑)。

――大学院時代に書かれた論文をベースに、北林さんは卒業後、「京都カスタマイズ」という事業をスタート。京都の伝統産業が育んできた素材やデザインを企業向けのカスタマイズ商品(ノベルティ)として展開する……という、現在の事業に通じる取り組みでした。

北林 当初は苦労の連続でした。そもそも、企業が求める「配布する」ためのノベルティと、職人が作る「贈る」ための素材にギャップがあり、製作スケジュールなどで折り合いをつけるのが厳しい。また一般商品として、デザイナーさんとのコラボで、京都を代表する伝統産業「西陣織」で用いられる「引箔」(金箔糸などを織り込んだ生地)を使った照明を展開していますが、いくらすばらしい商品を作っても、売って利益を出すのは大変に労力がいることです。大中小、用途別などラインナップを作って、カタログを作って、照明業界の人に顔を売って、ブランディングしなければいけない。違うカテゴリの商品を作れば、また新たに販路を作らなければいけません。それは自分がすべきことなのか悩みました。

――そうした試行錯誤を経て、現在進んでいるのが日本各地の素材をアーカイブ化し、カタログとしてまとめるプロジェクトですね。

北林 そうです。製品単位で仕事をしていると、販路の確保に労力が取られてしまう。各素材の背景にある各地の文化こそが発信すべきものであって、自分はそれに集中して、デザインやマーケティングはプロに任せようと考えました。
 ひとつのきっかけは、昨年、クリエイティブな町として注目を集めているアメリカのポートランドに行ったことです。現地のクリエイターに美濃焼の箸置きを見せたら、「デザインは面白いけど、一部の日本好きにしか売れないよ。だって、結局は使わないからね」と一蹴されてしまって(笑)。確かに、現地のライフスタイルがわからなければ、商品の提案のしようがない。続いてポートランドでアパレルブランドをやっている日本人に会いに行くと、タグに「material by Japan/Made in Oregon」と書かれたネッカチーフを見せてくれました。現地の生活にあっているし、素材がどんなものかという説明もきちんとしていて、まさにこれだと。物語のある素材を提供して、ローカライズは現地に任せる――これは、国内でも海外でも通用するビジネスモデルだと確信しました。
 京都には「租庸調」の時代から、全国の特産品・文化素材を集め、それをブラッシュアップさせて、ライフスタイルとして発信していく強い感性があります。もっとも、自然に京都に集まってくる素材だけを展開していたのではベンチャーの意味がありませんから、日本各地に眠っている文化素材を発掘している最中です。

――北林さんは、「よいアイデアを広めよう」というコンセプトのもと、世界中のさまざまな人がプレゼンテーションを行う『TEDxKyoto』のディレクターとしてもご活躍です。

北林 今年で3年目になるのですが、多様性やクリエイティビティを大切にしているところに共感しています。「良い/悪い」ではなく、多様な価値観に基づくアイデアを、共通のフォーマットで発表し、動画にして世界に配信する。フラットにアイデアを評価できる場になっているので、常に多くの刺激を受けます。
 英語でスピーチするのがベストですが、他の言語でも字幕を入れるので問題ありません。言語を超えることは伝えるために必要です。文化素材のアーカイブを作るうえでも、誰でもわかりやすいスペック表示を行おうと考えています。こうやって、すべてが仕事のアイデアにつながっていくのを感じています。

――クリエイティブに生きるためのポイントは、どこにあると考えますか?

北林 本人の意識と、周りの環境の両方が重要になると思います。
まずは自分が、多くの価値観に触れようという意欲を持つこと。それは単純に「海外に行こう」ということではなく、努めて違う職業の人、違う価値観の人に会うことが重要だということです。
 一方で、多様な価値観を表明できる環境があるかどうか、ということも重要でしょう。アメリカの社会学者、リチャード・フロリダ氏の『クリエイティブ都市論』に、「ボヘミアン=ゲイ指数」という有名な統計分析があります。要するに、性的マイノリティが多い都市ほど、クリエイティブな人が集まりやすく、経済的にも活発になるという話です。私自身は妻帯者ですが、マイノリティがマイノリティとして積極的に活動できない環境では、多様な価値観に触れる機会が失われてしまうと思います。

――大学教育が果たすことができる役割も大きいように思います。

北林 ダイバーシティ教育は大切だと思いますし、いろんな価値観を知る機会を増やしてほしいですね。そうすると、自分のコアがわかってくる。冒頭にも紹介したように、自分が何ものかを知ってこそ、本当の国際人になれると思います。“自分探し”ができていない状態でアメリカに行っても、「アメリカナイズされた日本人」ができあがるだけかもしれない。ダイバーシティ教育の本質は、自分の根っこを知ることにあるのではないでしょうか。土地に愛着と誇りを持つ人が多く、外国人も含めて多様な人が集まる京都は、それを教えるのに最適な場所ですね。

北林 功
COS KYOTO株式会社 代表取締役/コーディネーター。大阪市立大学法学部卒業後、2002年に大阪ガス株式会社に入社し、エネルギー関連設備の営業に従事する。07年からは株式会社グロービスにて、人材育成コンサルタントとして活動。その後、2010年に同志社大学大学院ビジネス研究科に入学。現在も顧問として北林氏を支える村山裕三教授の「伝統産業グローバル革新塾」に学び、現在の事業のベースとなるプランを作り上げる。同大学院卒業後、「COS KYOTO」を設立し、「現代の素材・技術・人を融合し、『京都』でリデザインする」というコンセプトで多くのプロジェクトを進行。カンファレンスイベント『TEDxKyoto』のディレクターとしても活動する。

(撮影:今祥雄)