この10年で「3つのこと」を諦めた日本の盲点 社会学者の開沼博が考える日本が変わらない訳

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背景には政治でのポピュリズムがあるのかもしれないし、メディアでのエコーチェンバー現象(自分と同じような意見ばかりを繰り返し見聞きすることで、主張や信念がより強固になる現象)があるのかもしれないし、そうでもしないと商品を売るにせよ、人を動員するにせよ、経済的にマスに訴求することが困難になっていることへの1つの対応策がそこにあるのかもしれない。いずれにせよ、極端で単純化された言説が「言説市場」の競争の中で勝ち残りやすい状況はますます加速しています。

そして、「知識」も必要とされなくなっている。ここでいう「知識」とは、断片的な情報を体系的に組み合わせ、またその獲得に向けた意思と経験への意思が不可欠なものを指します。

例えば、何かのプロ・職人が熟練の過程で身につけるもののようなものですね。そういった意味での「知識」を前提とした言説は成立し得なくなる。そうなれば、すでに政治的・経済的資源を得ている人々が持っているような"あらかじめ獲得された立場"が複雑な物事を決める主たる要因となっていくでしょう。

知識がもたらす社会のダイナミズムが衰退

でも逆説的に「知識っぽい情報」は増えているという実感がある人もいるでしょう。とにかくわかりやすく解説することに心血を注ぐテレビや、YouTuberのテロップカルチャー的なものだったり、逆にひねくれたペダンチックなものの見方がバズったりして、なんか新しいこと言っている感をそこに求める層がいることとか。

一方には、「わかりやすさ・理解しやすさ」をひたすら拡大しようとする無限運動がある。他方に「わかりにくさ・理解しにくさを楽しもう」というニッチで「高尚な知的趣味」が存在する構図がある。両者に共通するのは、「知識」が必要ない、ということです。

「わかりやすさ・理解しやすさ」というのは、ある情報の体系のパッケージ部分だけを手短に理解する、あるいは、理解したつもりになれることを志向する。それに比べて「わかりにくさ・理解しにくさを楽しもう」という態度は、一見知的なようでいて、「知識」の有無を放棄することに接続してしまっている。

両者とも「知識」はあるべきだし、尊重もされるべきという規範を根本から破壊していっています。これはタコが自分の足を食っているようなもので、知識がもたらす社会のダイナミズムを減衰させていくことに接続していくでしょう。

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