京都は観光業の努力が足りない?
京都は確かに歴史的な寺院や庭園、風光明媚な自然が多く、それに桜や紅葉が加われば放っておいても世界中から客は訪れますが、市はそれに胡坐をかいているのではないかと、この地に来て感じたのです。
桜や紅葉がなくとも世界から人が集まる嵐山に、日本が世界に誇る文学、源氏物語の世界を十二単を着た人形で再現し、その物語の一端に触れることができる記念館を造るのは、どうでしょう。
葵祭や時代祭の衣装の常設館を造り、その祭りの日に来られない人にも、平安時代の王朝風俗や東京に遷都以前の千年の京都の歴史を、楽しみながら学べるようにする。それは上賀茂神社や平安神宮の傍に。
たとえばエディンバラでは、ウィスキーの醸造所にわざわざ行かなくとも、その醸造の過程を、遊園地のコーヒーカップの動きをする樽に乗りながら見学できる所があります。ウィスキーの奥深い歴史を学びながらの見学は、帰りにはお土産としてウィスキーが買いたくなるほどになっています。
清水寺か金閣寺の帰りには、伏見に行かなくともその酒蔵の再現館がある、というのも良いアイディアかも知れません。
京都は伝統的な民族衣装をより活用すべき
観光客が舞子さんに会えるのも、簡単ではありません。二条城や京都御所の守衛さんや係員は、お侍姿かせめて和装で、観光名所によくお見受けするボランティアガイドさんにも、京都市から和服を用意して着てもらう。これだけでも日本文化への理解や親しみに、随分貢献するのではないでしょうか。
スコットランドの人の、民族衣装に対する愛着や誇りに、好感を持ちました。和服を愛用する人によりますと、和服は男女を問わず、夏も冬もとても理にかなった服装だそうで、その良さを知らずに暮らすのは非常にもったいないということです。
京都では和服愛用者を増やす目的で、和服でタクシーに乗ると、料金が2割引きになる日が決められているそうですが、その良さを知り、和服を着る人が増える努力と工夫は、もっとなされるべきです。
衣は体を表すといいます。エディンバラの紳士たちが誇らしくキルトをはいている姿が凛としていて、そしてそのことがますます観光客にとっても、エディンバラを魅力的な都市にしていることに、日本人と和服についても、いろいろ考えが及んだ次第です。
京都の観光業がエディンバラから学べること
その地に住む人や行政が、当地の歴史や文化に親しみ、訪れる人にもそれらに愛着と誇りをもって発信することの意味を再認識しました。現状は寺任せ、花任せ、土産物屋任せに映ります。
京都の場合、千年の歴史を、異なる言語を持つ世界の人々に理解しやすい方法で展示し親しんで、満足して帰っていただく工夫と努力が足りないと英国に来て感じました。
エディンバラのあとでカンタベリーへ行ってきましたが、「カンタベリー物語」を、等身大の人形とからくり仕掛けの道具などを使って読み聞かせしてくれる館では、観光客が楽しい気分で館を出たときには、その小説が「読了」する仕掛けです。
いろんな国の人が一年中訪れている京都の嵐山に「源氏物語の館」。六条御息所の牛車が壊れている部屋では、世界の人は何を感じるでしょうか。エディンバラの観光課の助言を仰げば、即、採用されそうなアイディアです。
観光の目的は、由緒正しい神社仏閣と庭園、そして小さい文字で書かれたその説明書きを読むことだけではないはずですから。
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