暴力多発の柔道界「怒らない指導」貫く男の信念 「練習中に私語もOK」その背景にある思い

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腹巻さんは海外の指導者などからも多くを学んできた(写真:紀柔館HPより)

挨拶などの礼儀も、うるさく言ってやらせるのは違う。抑圧的に指導すると、指導者が見ている前では礼儀正しくても、その場を離れるとそうではないことがわかった。

海外のスポーツクラブで見かけたのは、コーチが「腕立て伏せ50回やるぞ!」と叫ぶと、「練習を2時間やったあとに、そんなことはできない!」とブーイングを浴びせる子どもたちの姿だ。コーチと子どもたちは「じゃあ、これをやろう」と意見交換し着地点を探していた。

「子どもと僕が対等な立場で取り組むべきだと、あらためて思い出しました」

子どもに寄り添う指導を心がけた結果、所属する中学生たちの成績が上がり始めたという。

コロナの影響を受けた2020年度は全国大会がなくなり、中学3年生の子たちの柔道へのモチベーションが下がることも心配されたが、杞憂に終わった。

「中止が決まったときは泣いていましたが、その後は難なく切り替えたようです。自分の技術を高めるために、(高校受験のための)引退はせずに柔道を続けている。とても生き生きして、柔道そのものもよくなっている気がします」

世界の柔道強豪国の死亡事故はゼロなのに対し…

腹巻さんは、小中学生年代の減量問題についてSNSなどで警鐘を鳴らすなど、課題を見つけては学びを深め、多方面に情報を伝えている。過度な減量は体に悪い。そのうえ、厳しい減量の背景に「階級を1つ落としたほうが優勝できる」と勝利至上主義に走る大人の存在が見え隠れする。

日本スポーツ振興センターの記録が残る1983年度から現在まで、中学校・高校の学校内における柔道事故で121人が亡くなった。それに対し、世界の柔道強豪国では死亡事故はゼロだ。

日本の死亡事故の多くは、根性論を前面に出した暴力行為、もしくはスレスレの不適切なブラックな指導が基になったケースも少なくない。

加えて、受け身を初心者から丁寧に教えない指導者がいることも課題のひとつに挙げられる。受け身は、柔道においては負けを意味するからだ。そこで、腹巻さんは、「痛くて面白くない受け身の練習を変える努力をしよう」と柔道指導者に呼びかけ、9月には初めてリモートでの講習会を開催した。

背負い投げを上手にできる方法は山のようにあって、みんな実行する。技を磨いて勝つためだ。それに比べ受け身の練習は勝利に直結しないが、受け身をきちんと教えなければ脳震盪などの危険が伴う。初心者に安全性を担保するためにも、必要な指導なのだ。

「今日はこんな受け身の練習をやったと、ワクワク楽しくなるような指導法を研究している」

9月には、初心者指導講習会を初めてリモートで実施、各地から10人が参加した。意気込む腹巻さんらが、日本の柔道の未来を変えてくれることを願いたい。

島沢 優子 フリーライター

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しまざわ ゆうこ / Yuko Simazawa

日本文芸家協会会員。筑波大学卒業後、広告代理店勤務、英国留学を経て日刊スポーツ新聞社東京本社勤務。1998年よりフリー。主に週刊誌『AERA』やネットニュースで、スポーツや教育関係等をフィールドに執筆。

著書に『世界を獲るノート アスリートのインテリジェンス』(カンゼン)、『部活があぶない』(講談社現代新書)、『左手一本のシュート 夢あればこそ!脳出血、右半身麻痺からの復活』(小学館)など多数。

 

 

 

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