26歳で逝った五輪選手を戦争に駆り立てたもの 1940年「幻の東京大会」五輪は一体誰のものか

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背水の陣で迎えた400メートルリレー、日本チームの第1走者は、100メートルの世界記録を出したこともあるエース吉岡隆徳。第2走者は鈴木聞多。世界でもトップクラスのこの2人が、序盤で順調にリードを奪えれば、メダルには十分手が届くとみられていた。

号砲が鳴り、第1走者の吉岡がロケットスタートで飛び出した。最後にアメリカにかわされたものの、2番手。好位置で第2走者の聞多にバトンがつながる……はずだった。しかし、気持ちの焦りからだろうか、スタートのタイミングが一瞬早い。吉岡の差し出すバトンは、助走する聞多の手になかなか収まらない。最終的に聞多は、足を止めて受け取るしかなかった。

痛恨のバトンミスだった。結局、日本は聞多の失敗を取り戻すことができず、4着でゴール。それどころか、オーバーランのため、日本は失格となってしまった。このときの気持ちを聞多は日記につづっている。

ベルリン大会の前年、本番と同じスタジアムで行われた国際競技会の100メートルで優勝した聞多だったが……

「何を以てお詫び致すべきかその術さへ知らざるものであります」

帰国後の聞多は、ベルリン大会での失敗を償い、1940年に自国開催される東京オリンピックで雪辱を果たそうと、すべてを犠牲にして練習に励んだ。

しかし、日中戦争が勃発し、戦費の確保を優先したい日本政府は、巨額の費用がかかるオリンピック開催を返上、東京オリンピックは露と消え、幻となった。もはや聞多は、あの大失敗を埋め合わせる機会を完全に失ってしまったのだ。その落胆は想像できないほど大きかったに違いない。

スパイクを軍刀に替え、戦場で戦うという答え

悩み抜いた末に聞多が出した答え、それはスパイクを軍刀に替え、祖国日本のために戦場で戦うことだった。慶大を卒業して入社した実業団の強豪・日立製作所に辞表を提出し、陸軍への入隊を志願した。

1938年1月、旭川第二七連隊に入営した聞多は中国戦線への出陣を命じられる。中国へと向かう船上で新聞記者の取材を受けた聞多。「苦しさを知らぬ快速隊長の鈴木」(1939年4月28日付朝日新聞)という見出しとともに、「部隊の至宝」「我が陸上界の名スプリンター」といった賞賛の言葉が紙面を飾った。軍がオリンピアンとしての名声を戦意高揚のプロパガンダに利用したのは明らかだった。

聞多が送り込まれた中国内陸部の山岳地帯では、毛沢東率いる共産党軍が日本軍を相手にゲリラ戦を繰り広げていた。聞多は、その俊足が買われ、攻撃ではつねに先陣を切らされた。夜も暗闇に紛れて相手陣地のそばまで潜入し偵察する危険な任務を負わされた。今回の取材で新たに見つかった戦場から家族に送った50通以上の手紙からは、精神的に徐々に追い込まれていく様子が明らかになっている。

「帰ってくると体は土で作った人形のようになります。(中略)一寸怪しい人間は引っ張ってきて殺します。可愛そうですがこれもやむをえません」「だんだん我の行動も面白くなってきました」……一瞬たりとも気が抜けない荒んだ戦場で、聞多はもはや正常な精神状態を保てなくなってしまったようだ。

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