元財務官が明かすボルカー元FRB議長の素顔 金融巨大化に警鐘を鳴らした「最後の人物」

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ボルカー氏の大きな業績というと、第1には1970年代初めに財務次官としてブレトンウッズ体制崩壊の処理をやったこと。第2は、1970年代の終わりから1980年代の初めにかけてのインフレ退治だ。

カーター政権末期からレーガン政権初期にかけ、アメリカでは10%を超えるインフレとなり、経済成長が落ち、失業が増大した。ボルカー氏は非常に厳しい金融政策を採り、インフレを制圧した。アメリカではボルカーと言えば、まず「インフレファイター」として強く記憶されている。当時は景気を悪化させたとして批判もあったが、インフレを制圧したおかげでアメリカ経済はその後、成長軌道に乗った。

そして第3は、2008年のリーマンショックの後にオバマ政権の大統領経済回復諮問委員会委員長となり、ドッド・フランク法(金融規制改革法)の中に「ボルカー・ルール」を入れるために頑張ったことだ。

ウォール・ストリートは規制強化を「やりすぎだ」として全面的に反対し、トランプ政権になって一部逆戻りしたような形にはなっているが、少なくともリーマンショック後の金融危機対応に尽力した功績は大きい。彼はパブリックの立場で考えてどう対処すべきかを考え、結論を出すと必死になってそれを推進する。ボルカー・ルールはその象徴的な出来事だったかもしれない。

金融は「ばくち場」になってしまった

彼は基本的に、金融というのは公共財であるべきだと考えていた。生産や投資、消費、貿易といった実体経済がスムーズに動くようにするのが金融であり、彼の目から見れば、1980年代以降、いろんな理由で金融が実体経済の補助の役割ではなく、独立した産業になった。

金融産業は大きくなって所得も雇用も生んだが、同時に1つの産業として利益追求に走った。IT技術の革新によってデリバティブなどの金融工学が発達し、本来それほどリスクテイクすべきではないのにもかかわらず、金融技術でリスクは減らせるとして、金融が一種の「ばくち場」「カジノ」になってしまったという不満があったと思う。

ボルカー氏は本心では、マーケットというものをそれほど信用していなかった。マーケットについては性悪説をとるべきだと考えていた。道を踏み外さないように、中央銀行などの規制当局がいつも監督しなければならないという正論を最後まで守った。その点、彼の後任のFRB議長だったアラン・グリーンスパン氏はまったく逆で、性善説をとった。マーケットを信用しすぎたがために、グリーンスパン氏は失敗したといえるかもしれない。

ボルカー・ルールでは、金融機関が自己勘定でリスクの高い取引をしてはならないということが柱となった。彼の保守的な意見を「時代錯誤だ」「ドン・キホーテ的だ」と見ている人はいるだろう。彼は、経済に奉仕すべき金融というものが大きくなりすぎることに警鐘を鳴らした最後の人と言えるかもしれない。

今は世界中が低成長で、インフレの危険も小さくなり、レーガン政権初期とは様変わりの状況にある。ボルカー氏のインフレ退治のような金融政策をやる環境ではない。そして、金融というものが流動性の増大や規制緩和を通じて、マクロ経済の活性化のためにあると考えられている。この情勢がいつまで続くのか。

どんどん流動性が増えて、債務も増えている中、かつてのバブルのようなことが起こって、破裂するということが繰り返される可能性はもちろんある。ただ、それがいつ来るかということになると、まだ先が見えているとは誰も思っていないだろう。

中村 稔 東洋経済 編集委員
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