フランスワインの定着 その1:北限突破《ワイン片手に経営論》第5回

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■ヴィエンヌの北限を突破しブルゴーニュへ

 ガリア人の中で新しい品種の研究に積極的に取り組んでいたのは、ドーフィネ地方(ローヌ渓谷左岸スイス寄りの地域)のアロブロゲス族と、ヴィヴァレ山地(ローヌ渓谷途中の右岸地域)のヘルウィ族です。特に、アロブロゲス族は、当時のブドウ栽培の北限であるヴィエンヌが彼らの領土の南端に位置していたため、自分たちの領土の、より中央部で本格的なブドウ栽培を行うことが重要な意味をなしていました。この地でのブドウ栽培に成功することは、ワインを自己調達できるだけでなく、ガリア北部への広大な市場を押さえられることを意味していたからです。

 アロブロゲス族にとって幸運だったのは、ローヌ渓谷の自然環境でした。ローヌ渓谷は南北に細長く延びていますが、その途中で地中海の植物相からフランスの中央部から北部の植物相に変化するのです。こうした異なる植物相が交わる自然環境は、品種改良の実験場として格好の地でありました。品種交配の選択肢が広がるからです。

 さらに、もうひとつ幸運だったのが、カエサルの『ガリア遠征』以降、ローマ帝国の平和な時代がつづいていたという時代背景でした。こうして、戦時にはなかなか利用できないローマ渓谷の平野部を使いながら、新品種の研究に没頭できることができたのです。彼らの研究のレベルの高さは、「接ぎ木の技術に関するアロブロゲス族の知識は、ワイン造りについて詳細に記した最初の著述家であるカトーの知識より優っていた」とするプリウスの文献からも知ることができます。

 そして、プリウスの『博物誌』十四巻十八章によると、「ローヌ河沿いにあるアロブロゲス族の首都ヴィエンヌ一帯を有名にした新しいブドウ品種が生まれた」、「寒い土地で霜が降りて熟す、色の黒いアロブロギカ」と記されています。従来、ブドウの実をつけることが出来なかった寒冷地においても栽培できるブドウ品種が開発されたのです。この新種はアロブロゲス族に因んで「アロブロギカ」と名づけられました。しかし、残念ながら具体的にどのようにこの品種を開発したのかは分っていないようです。

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