私たちは日々「錯覚」でモノを買い続けている ムダ出費を誘う価格の錯覚「5つの典型」

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その2 機内ショッピング的錯覚

飛行機に乗ると機内販売のカタログが置いてある。暇つぶしにページをめくっていくと、キャリーバッグや財布などが目に入る。価格は、まあまあ手ごろじゃないかと感じたとすれば、それはすでに錯覚ワールドに入り込んでいるかもしれない。

私たちは、どの商品がどんな場所で販売されているかでも、高い安いの判断を狂わされる。たとえば1袋500円の値段が付いたコーヒー豆でも、激安スーパーの棚にあると高く感じ、青山のカフェの棚に並んでいれば手ごろな価格に思える。モノの値段のジャッジが、モノ自体の価値よりもどこで売られているか、その“場”に左右されてしまうという例だ。

機内販売のカタログは、「今このとき、機上にいる特別なお客様に向けた商品です」というステージを作り出しているがために、掲載商品の価格が全体的に高額ゾーンでもさほど気にならない。

最近は国内線でもWi-Fiが使えるとはいえ、同じ商品をネットショッピングでの価格と比較して判断しようというツワモノは少ないだろう。全体的に価格帯が高めの場での買い物は、普段買うより高い値段のものに手が出やすい。

均一ショップの魔力

その3 100均的錯覚

錯覚によるうっかり買いは、価格帯が安いものでも起きる。その最たる例が、「均一価格買い」だ。何か1つ欲しいものがあって100円ショップに入ったところ、なぜかレジに並んでおカネを払ったときには1000円近くも買っていたことはないだろうか。

ついつい余計なものを買っているのは、この100均的錯覚によるものだ。「すべて100円です」と言われると、そのものの要不要よりも、100円であることに魅力を感じてしまう。人は、損や買い物の失敗を恐れるから、自分の選択で決して後悔したくないと思う。

そもそも買い物とは結構めんどくさい行為だ。手に取ったモノを吟味して、それは付いている価格に見合う価値があるのかないのか、これを買っても後悔しないか、明日になればもっとよい商品が見つかるのでは――そんな迷いを断ってくれるのが、「100円ならいいか」という免罪符だ。

「まあ、たとえ失敗してもいいか、100円だし」と心理的ハードルがぐんと下がるのだろう。個々の高い安いを考えることなく、気持ちよくカゴにどんどん放り込める。実際には、よそで買うと100円より安い商品も中にはあるだろうが、気にしない。考えるのがめんどくさいからだ。かくして、ついつい予想外の買い物をしてしまうことになる。均一ショップの魔力、おそるべし。

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