「ごぼう蕎麦」を作る美女の忘れられない記憶 「ご飯を作って」と呟く女子高生の数年後

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ほどなくして、2人は結婚。彼のほうの仕事の都合で、2人は東京から離れた場所で暮らすことになった。同じ頃、こちらはこちらでいろいろあって、私は当時の配偶者と離婚することとなった。お互いが急に慌ただしくなってしまって、それからしばらくの間、Yとは自然と疎遠になってしまった。

ごぼう蕎麦の夕食

そんなYが、いつの間にか生まれていた一人娘とともに久しぶりにわが家にやってきたのは、それから約2年後。新米シングルマザーとなっていた私は、紆余曲折を経て、人生ではじめての就職に成功。子育てと仕事の両立に悪戦苦闘している最中のことだった。

Yの到着が夜遅かったこともあり、その日はお互いの近況を軽く話して、少しだけお酒を飲んですぐに眠った。翌朝、子どもたちを学校に送り出し、YとYの娘を家に残して、私も仕事に。

そして再び夜。クタクタになって家に戻ると、玄関を開けた瞬間に、干し椎茸を戻したいい香りが、玄関にまでぷーんと香った。ダイニングテーブルの上には、カセットコンロと土鍋がセットされている。

「わあ、これなに?」。私が尋ねると、Yが言った。

「ごぼう蕎麦。今日テレビで見て、すっごく美味しそうやったの」

湯気の立つ鍋の中を覗くと、醤油と干し椎茸のスープにお蕎麦、さらにその上に、リボン状にスライスされ、きつね色に素揚げされたごぼうが山のようにのっかっていた。それぞれの器によそって、七味唐辛子をかけて食べる。

「おいしい……」

一口食べると、言葉と吐息が一緒に出た。気づけば長いこと子どもたちを食べさせることにばかり躍起になっていた。Yの作ってくれた温かい食事が、じんわりと体に染みる。

仕事は肉体的にも精神的にもハードだったけれど、それでも家にじっとしているだけでは得られない新しい出会いと、離婚のあれこれで折れた自尊心を立てなおすのに十分な承認とを得ることができた。仕事を、つらい試練を乗り越えた後の、神様からのご褒美のように感じられることもあった。

一方で、母親が急に働き出したことで、子どもたちにさみしい思いをさせているのではないか。仕事に義務感を上回るやりがいや充足を感じれば感じるほど、子どもたちへの後ろめたさがつのった。子どもも仕事も、どちらも生きるために欠かせないもので、大切にしたい。しかし体は1つしかなく、1日は24時間しかない。おまけに人間の体はどうやら寝ないともたない。この時期、2度ほど倒れて、救急車のお世話になって学んだことだ。

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